半年以上さぼってしまいました
なんて書き始めてよいのやら・・・
それすらわからなくなるほどにさぼってしまいました。
本当はYouTubeの切り抜き動画と合わせてネットとリアルの時事ネタをメインにほんの少しお小遣い稼ぎをしながら、ライフワーク的に20年程続けてきたブログを新たに立ち上げて自分なりに楽しめたらな~って始めたブログだったのです。
しかし、昨年の終盤に色々あり過ぎて休まざるを得なくなってしまったわけです。
で、ちょっと書きたい事ができたのではてなブログPROから無料版に降格して仕切りなおそうかなと。お小遣い稼ぎってのがあると自分的にハードルが上がってしまうということにも気づいたので、もしかしたらいつかPROに戻してGoogle様にライセンスを頂いてお小遣い稼ぎをするかもですが、とりあえず再開させていただきます。
1.色々あった2022年の終わり
そもそもこの10年色々あったのですよ。
とくに2020年からは加速度的に色々あって比較的穏やかに終わると思われた2022年だったのですが10月の最終日から一気にどどどーっときました。
- 推し活の終わり
- 動画編集に嫌気がさす
- 家族の病気
簡単に上げるとこの3つです。簡単に説明していきます。
①推し活の終わり
身バレや守秘義務的なものが多々絡むので詳しく書けませんが、おおよそ12年に渡る推し活が終わってしまいました。僕の場合は相手様にもガチ恋認定されていたし、なんなら推し活を始めた2年後にはLineもつながっていました。お仕事も少しだけ手伝ったりもしていました。そんな推し活が終わったのでした。
ガチ恋していたので長年に渡る片思いもおわったわけですね。自分自身の年齢が年齢だったのでガチ恋といっても身分をわきまえたものだったのですが、ま、これが最後かな~って感じのモノが終わった感じです。
②動画編集に嫌気がさす
これは①と関連してなのですが、僕が動画編集を始めた切欠はこの推しの人からの依頼でした。
「1本5000~10000で動画編集しませんか?」
長年家族の介護をしていてまともに働いてなかった僕だったのですが、介護が終わろうとしたタイミングでいただいた話でした。とてもありがたかったです。
そこから動画編集を覚えたんですよ。Photoshopは20年くらい使ってたし、全盛期から少し過ぎたところでflashも少しだけ使っていたのでなんとか覚えることはできました。ヒトナミにできてるかどうかはあれですが。
しかし、まてどくらせど動画編集の依頼がこないのですよw
すでにアップされていたどうがの翻訳をしてとか、他の人が編集した動画のチェックをしてなどの依頼はあったのだけど、これらはノーギャラですw
確かに僕が頂いた話は動画を編集したことでギャラを出しますよってことだったわけで、長年の推しとの関係もあったのでこれはしゃ~ないかぁ~って思うしかなかった感じです。
でも、翻訳ってしっかりとつけるとなるとかなり大変。
ちょっとだけ話が脱線します。
元々は英語ができる人に依頼してたみたいなのですが、英語ができる人の場合は動画で話してることを英語にするだけで終わるのですよ。英語ができない僕の場合はちょっと違っています。さらには推しの活動を手助けしなくちゃならないっていうファン視点も入っていたのでさらに違ってきます。
推しの活動は海外にも少し広まっていて、海外の方達に動画を見てもらえます。コメント欄を見ると英語圏だけではなく色んな言葉があふれるんですね。それを踏まえて僕がやった翻訳は以下の感じになります。
動画の言葉をそのまま日本語にする
↓
翻訳しやすい日本語に変換する
↓
英語に自動翻訳をする
↓
Google翻訳などを利用して僕ができる限りの英語の修正をする
↓
翻訳しやすい日本語のデータを使って各国の言葉に自動翻訳をする
こんな感じです。
さすがに英語以外の言葉はさっぱりわからないので修正をすることはできませんでしたが。これらはYouTubeのツールを使ってやるのですが、字幕が出るタイミングや文字数う調整ももちろんしていました。
翻訳ついでに動画の不備を翻訳部分で補うってことも2,3本の動画でやっていました。それらの動画を編集してたスタッフの方を悪く言いたくはないのですが、動画作りがかゆい所に手が届いてないのですよw
比較的難しい日本語が登場する動画が多々あり、海外の方どころか日本人でも難しい言葉すらあるのです。他の簡単な言葉では解説いれてるのにそういう難しい言葉に限って解説をいれてないんですよね~
そういう言葉こそ必要だろっ!
ってことに解説をいれないってどんな神経やねんと。で、僕が思いついたのは翻訳字幕部分に可能な限り解説をいれるみたいなこと。制限が多々あるのでこれは苦労しました。
これらのこと、僕が勝手に気をまわしてやったことなので別によいのですが、何一つ評価をいただけませんでした。あとこんなこともありました。YouTubeでは恒例の100の質問って企画動画があったんですね。
「ファン視線でこの動画問題ないかチェックして」
と、お願いされたのでチェックしたのですが、あちらこちらにこれまでほとんどしてこなかった恋愛に関する話があったんです。その方の年齢も年齢だし活動内容も活動内容なのでそれはそれで有りだとは思ったのですが、その人のファン層なども考えると恋愛関連はない方がいいな~って判断したんです。ただし、動画内で「第何問目」的なセリフがあるから再編集は難しいのでは?って返ってきました。うまくカットできるなら試しにやってみてともきたので、試しにやりましたw
編集前の元データをいただくことができなかったのでテストでアップされた動画を録画してやりました。それを見せて、
「うまくカットされてるから、編集者がやりやすいようにどの部分をカットしたか文字データをつくってくれる?」
と。合計40分以上ある動画を全てテキストで文字起こしして、さらに何分何秒から何分何秒までをカット的なものを作ってPDFにして送りましたよ。
そして再チェックをしてくれと戻ってきた動画は、カットすべき部分をカットせずに早送り処理してるえらく怪しい動画でしたw
「なんで指示通りにしなかったの?」
と優しくきいてみると、その動画編集者は、
「カジサックが早送り処理をしていたから」
とのことでした。カジサックさんの動画を探して見てみたら、たしかに100の質問的な動画で早送り処理してました。しかしそれは後日別動画(サブチャンネルだったかな)でその早送り部分を公開するための仕込み的なものだったのです。
なんで早送りした、早送りした部分は問題があったのか?などなどファンからしたら早送りした部分が気になってしょうがない動画に仕上がってるんですよねwこれじゃダメと再び進言して、当初僕が指示した通りに作り直してもらいました。1度さらに手直しを指示してかなり時間がたってやっと完成したんです。そしたら、
「あ~やっとこの動画だせる~、もううんざり」
と言われました。
うんざりはこっちやって話です。ちなみにこの問題となった100の質問の最初のバージョンですがこっそりその人の親族に見せて、これ大丈夫ですか?ってお伺いをたてています。
「これはやめて!!こんなプライベートな話は表に出させないで!あなたの方でなんとかできるならなんとかして、おねがい!!」
と、ここまできつい言い方ではないですが言われています。僕だけの感想・判断で恋愛話部分をカットすべきと進言したわけではないんですよ。
長くなってしまいましたが、話は戻ります。
こんな感じで動画編集を練習しながらあれこれ「動画に関連する」作業を多々やってきました。練習で作った動画を見せたりもしていたのですが、ほんのちょっと感想があっただけでやがて感想すらなくなり、それらの動画は本当に単なる練習動画であって全てお蔵入りとなっていきました。
僕自身、家族の介護があったし介護してた家族の入院や退院、リハビリ施設への入所、家に戻ってからの介護体制をどうするかっていうあれこれなどがあってかなり忙しく、動画をやってる余裕もなかったんですよね。
推しから動画編集の依頼が全然なくてもどかしい思いをしていましたが、僕の現状が現状なので無理に要求することもできずにいました。編集用のパソコンを買ったし、月々Adobeのサブスク代もあったのだけどね。
で、翻訳字幕や他の人が編集した動画のチェックなどのタダ働きを通して、マイナスで終わってしまいそうだけど動画関連のお仕事やお手伝いはこれ以上は無理かな~って思い始めた頃に推しから仕事の依頼が来ます。
「月に1本このシリーズの動画編集をお願いしてもいいかな?」
と。そのくらいなら負担にならないしいいかな~って思って受けました。介護のあれこれもあったけど余裕でできるだろうと。
しかし、これに関しても締め切りギリギリにデータが届くようになったり、途中で路線変更を勝手にしてシリーズの意味がなくなっていったり、あれこれありましたねw
そんなこんなしているうちにやがて介護していた家族が亡くなります。
家に戻ってくる準備をしていたのですが、戻ってこれませんでした(この話については別記事でそのうち書くかもしれません)。それに伴い僕の生活もガラッと変化していきます。
長年の介護(本格的に介護したのは6年程でしたが、トータルでいうと19年に渡る介護でした)が終わり、家族の死後のあれこれ事務的手続きや遺品整理、法事などでばたばたと忙しい期間が1ヵ月くらい続きました。
それらのあれこれが全て終わったわけではなかったのだけど、長年の介護生活と他界する前のあれこれ、他界した後のあれこれで疲れ果ててた僕は1週間くらいお休みをもらってどこかに旅行に行こうと計画してました。
その時ですよw
推しから仕事の依頼がきました。
とあるシリーズを立ち上げるからそれの動画編集をしてーと。おおよそ1ヵ月半くらいで10本以上の動画を集中的に作りました。
この仕事があったので旅行計画は白紙に。そもそも旅行といってもどこかに行って宿泊施設で本を読んだりぼーっとするだけのものだったので別にいいのですが、それから2年近く経過した現在でも気晴らしできてないのでそのタイミングしかなかったんですよね今思うと。
ま、ま、そんな感じで集中的に忙しく動画編集をしました。
「再生数が思ったほどいかなかったから、ギャラは10本で3万円でいい?」
と、推しからきましたw
正直がっかりしたし、そもそも1本5000円から10000円で受けていたのにな~と思いつつも、疲れ切っていたのもあって、ありがとう!それでいいよと受けました。
これが間違いだったんだよね今思うと。
そのシリーズは事務所にとめられたとかでそれで終わりました。
1年近く受けていた月1のシリーズも終わるとのこと。僕は合計で10万円もギャラを受け取ることなく動画編集の仕事がなくなりましたw
でも、あれこれ機材も揃えたし、このままやめてしまうのももったいないな~ってことで始めたのが切り抜き動画だったわけです。
しかし切り抜き参入も遅過ぎたし、僕のセンスもイマイチで全然収益化できなかったのです。
長年の介護生活が終わり、しっかりと稼がなくちゃ生きていけない感じだったのですが、やりたかったことをあきらめて、やりたいことを我慢して20年近く家族のために生きてきたわけで少し自由にしたかったのもあり、収益がでないながらもちゃんと頑張ってるていで切り抜き動画作成に甘えさせてもらう日々が続きました。
切抜きも大変で、1日1本~2本作るだけで手いっぱいだったし、それにプラスして家事は変わらずしっかりやっていたので自分のやりたいこともできなかったのですが。
切抜き動画を初めて半年くらいたった所で諦めるか方向性を変えるか考えるためと、少し疲れたので休みたいってのもあって、動画編集を休みました。
またしてもこのタイミングで推しから動画編集の依頼がありました。
ここからは詳しく書けないのですが、推しにも色々あって少しピンチだったのです。そのピンチを少しでも緩和できるかな~と思い手伝いました。
この時もだいたい1ヵ月半~2ヵ月びっちりと大量の動画を作りました。自分なりに頑張ったな~って思いましたよ。そもそも切り抜き動画で疲れ切ってたタイミングだったし。
しかし、この一連の動画作業によって推しと決別するのですw
詳しく書けないのがもどかしいですが、長い長い推し活と片思いがあっさりと終わりました。
この項目、やたらと長くなってしまいましたがこれらのことが切欠で動画編集という作業に嫌気がさしたのでした。
ちなみに推しとのあれこれをテキスト化することも、次の項目で書くもどかしいたくさんの暇な時間を使って書こうとしたのですが、何度も何度も書き直してもうまく書けずに3万文字から4万文字の文章を何度か書き直し、それでも公開するのは難しいと判断してお蔵入りさせてます。僕の恨み節でしかなかったのでw
ま、今回このような形でその1部を書いているのですが、書きたいことを全て書くとこの項目だけで5万文字とかになってしまうところをなんとか10分の1でおさえたんだな~とご理解いただけると嬉しいです。
③家族の病気
長年の推し活が終わり呆然とした日々を過ごしました。
あ~このまま何ヵ月も呆然としちゃうのかな・・・ってくらいに落ち込んでいたし、無駄でしかなかった、失った10年ちょっとの推し活期間を後悔する日々を過ごしました。
でもそんな日々を2週間もたたないうちに終わります。
両親を失った僕には同居している兄がいます。
兄には生活を支えてもらった恩義もあるし、そんなに仲が悪いわけではない感じです。仕事から帰ってきた兄が、
「なんか足が変な感じがする。動かせるのだけどうまく動かせないというか」
兄は数年前に大病を患っています。芸能人の方が亡くなったりしている大きな病気だったのですが兄は運良くその病気を克服しました。しかし体が万全ではないのもたしかで、そのほんのちょっとした違和感がやたらと不安に感じました。
「救急外来に行こう」
すぐに準備して出かけました。
救急外来では原因がわからず、とりあえず様子を見てとなったのですが、翌日も変化がなかったので主治医のクリニックへ。クリニックで紹介された専門医にそのまま行ったのですが、それでも原因がわからず。でも確実に何かしらはあるので少し様子を見てと再び。翌日、少し悪化した感じがするとなり専門医に再び。検査などをするが分からずじまい。その翌日はクリニックも専門医もお休みだったので、その日1日をあけて翌日。朝起きてうまく立ち上がれなくなった兄は転倒し腰を強打。足の悪化と腰の痛みで動けない兄をなんとか車にのせて専門医へ。
さすがにこれは良くないと、総合病院に紹介してもらいそのまま総合病院で診察・検査を経て原因が究明できないまま検査入院という形で入院しました。
その後、病気がわかるのですが、長い期間体を思うように動かせない状態が続いたせいで命に係わる規模の血栓ができてしまい、一時は死にかけてしまいました。当の兄貴はけろっとしてたようですが状態は最悪だったようです。
兄貴はリハビリも含めて4ヵ月入院することになりました。
奇跡的に薬が効いた感じです。全身が麻痺していた可能性もあります・・・
詳しい病名は伏せますが、兄貴は足の麻痺(動かせるけど感覚がない的な)が残ったものの医者の言葉そのままに奇跡的に最悪の状態にはなりませんでした。しかし状態が状態なので夏過ぎまで仕事は休職となり現在も在宅療養となっています。
2.たくさんできた身動きがとれない暇な時間
そんな時間があれば切り抜きやったりブログやったりすりゃーいいじゃん
と、自分で自分に言い続けていました。
実際試みてもいるのですがうまくいかなかったです。その1つが先に書いた推しとの10年以上にわたる長い長いお話です。切り抜きに関しても新たにチャンネルを立ち上げてとか色々考えました。しかし自分のキャパではGoogleアカウントを複数持つことは厳しかったし、推しの動画を作っていた際のミスやトラブルでアカウント認証がしばらくできない状態であったというのもあったし、半年以上頑張ってもうまくいかなかった切り抜きに関する自分のセンスの問題もあってなかなか腰が重いままでした。
4ヵ月に渡る兄貴の入院生活もかなり影響していて、最初の1ヵ月は生きるか死ぬかっていう話だったし、次の1ヵ月は病状が回復に向かいつつもその後の生活がどうなるか、いつ退院するかってやつで、残りの2ヵ月はあれこれ確定したリハビリ期間だったのだけど、兄貴が家に戻ってからの生活が変わるので2階にあった兄貴の部屋を1階に移すことと、それに伴う他の部屋の移動作業がありました。それに加えて、この数年でばたばたと他界した両親の遺品の片づけを本格的にやったり、年末にやった大掃除の数倍の作業をやったりと暇なようで暇な時間はなかったんですよね。病院へ行く事も多かったですし。
ま、ネットフリックスで映画を見たり、ゲームをやったりして過ごしてました。ゼルダBOTWとかやっとできましたよw
3.それでも生きていかなければならなくて…
長い長い介護生活が終わっても解放感があるわけはありません。
親父とはケンカばかりしていましたが、僕はなんだかんだで両親のことが大好きでした。僕の介護生活の終わりは両親の死以外にはなかったわけで(施設に預けるっていう選択肢はありませんでした)、それを望むわけはないのです。望むわけはない一方で長引けば長引く程僕の人生の時間は奪われていくわけです。結婚もできなかったし、当然子供もいません。これは介護生活以前の問題が大きいですがまともに就職もできませんでした。取り返しがつかない年齢になってしまったし、その一方で失ってしまった時間を取り戻したい気持ちもあるわけで。
推し活にしても、ガチ恋してはいたけど望むような展開も結果もありえない話でありその点については十重に承知していたし大前提で推し活をしていました。そして、報われない立場でありながらも生涯をかけてもいいと推しを信頼していたわけです。でもそれも全て無駄に終わってしまったと感じています。
推し活は程々に・・・自分の推し活を通して、僕の推しとは関係ない文脈でいつか上手に推し活について書けたとしたらこんなタイトルで文章に残したいとは思います。のめり込み過ぎた推し活の末路がハッピーエンドっていうパターンは0.0000001%もないように今は思ってますので。
一言でシンプルに表現すると僕の人生は失敗です。
99%は自分で選択してきたことなので後悔する資格はありませんが、そんな感じ。そしてそれらの皺寄せが一気にきたのがこの8~10ヵ月なんだな~って思っていますよ。
4.なんで再びブログをやろうと思ったか
これは簡単です。
FF16のレビューが書きたくてしょうがないからw
まだクリアしてないので書く資格はないと思ってますが、書きたくてしゃーないです。ただ、YouTubeでレビュー動画などを見ていると同じ意見と感想を持った方が多くいらっしゃるみたいなので、僕がわざわざブログで書く必要もないなっても思ってます。でも、書きたくて書きたくてしゃーなくなるようなゲームですよw
他にもドラマやアニメの感想をたくさん書きたいんですよね。
とあるドラマについては、続編ではなくてそのパターンでこういうのもやってほしいなんてのもありますので、それが書きたいみたいな。
誰かに読んでもらいたいというよりは言葉として残しておきたい、それよりも吐き出したいって気持ちが強い自分ですので誰かに役立つものはかけないと思いますが、気が向いたらこんな感じでダラダラと書きたいと思います。
どうぞよろしくお願いします!
家族が病気になるということ①
頻繁に更新できてはいなかったのですが、とある事情で他のことに集中していました。
頑張って週に2回は更新したかったのですが、なかなかに難しいものですね。お休み期間に何をやっていたのか、ブログをどうして更新できなかったのかとかいつか書けたらいいな〜って思いました。
今期の月9で放送されている「PICU」を見ていました。
ちょうど放送が終わったばかりなのですが、ずっと涙が止まらなくて。
大竹しのぶさん演じる主人公のお母さんが癌で亡くなった回でした。僕も母を癌で亡くしているのでどうしても重ねてしまいました。
今回は母の闘病について書いてみようと思います。
2回に分けて。
1回目は発症・・・というよりも病気に気づいてから他界するまで、どんな風に治療を進めていったかについて。2回目は病気とわかるより少し前からの僕の心境を書いていこうかなと。本当だったら僕の心境と共に書いていった方が良いのですが、医学的知識がほぼゼロ、闘病の記録を読み返せないみたいな感じなので、僕の主観が入っちゃうと色々おかしくなるかなと。2回目もすぐに書きますので、このメッセージボトルが届いた方に少しでも興味を持っていただけたらと思います。
1.発覚から治療開始まで
ある年の1月15日くらいだったと思います、母に少し大事な話があってお昼過ぎに話しかけました。僕の話が終わってすぐに、
母:「実はね、少し前からここにしこりがあって・・・」
と、左胸側面を指しながら母が言いました。
僕:「え、何それ?いつから?」
母:「う〜ん、詳しくは覚えてないのだけど、去年の12月かな。あ、いやもっと前からだけど、ごめんなさい」
僕:「どうして謝るの。どうしよう、病院行く?」
情けないことに僕の話ってのはお金のこと。これは次回に詳しく書くけど、そのお金の事と母の病気の事を相談するために、母の姉、つまりは僕の伯母さんの所にいきました。伯母さんにすぐに病院に行きなさいと言われ、その足でそのままお世話になっているクリニックへ。
クリニックから近くの総合病院を紹介してもらい、運よくすぐに診てもらえるとのことで、そのまま総合病院へ。
僕が住む田舎では病院の選択肢というものはかなり限られてしまうのですが、紹介されたこの病院には乳癌の名医がいらっしゃるとのことでした。長年の付き合いがあるクリニックの看護師さんからは、しこりがあるからと言って必ずしも乳癌ではないからねと言葉をかけてもらいましたが、残念なことにほぼ間違いなく乳癌であろうとのことでした。
まずはPET-CTを撮って来てくださいとのことでした。
PET-CTは事前に薬剤(ブドウ糖関連だったかな?)を入れてから撮るCTで、一度の全身を見ることができるのが特徴。確か、早期胃癌以外の全ての癌を観れるとかだったかな。間違いが多々あると思われるので、詳しくは検索してみてください。
地元にもPET-CTを撮れる病院があったのですが、隣の市にある病院が予約が早く取れてスムーズに受診できるとのことで、そちらの病院に行くことなりました。
予約は最短で3週間後、結果が出てもう一度先生の診察を受けるのは3月の第1週の終わりくらいだったと思います。正直、時間がかかりすぎると思いました。
PET-CTはとても時間がかかる検査で、体に薬剤を入れてからしばらく(2時間以上だったように思います)おいてからの検査になります。混んでいて、一緒にいるのも迷惑な感じだったので、お昼を食べながら病院の周辺をうろうろしたのだけ覚えています。
検査が終わって家に戻ったのは17時過ぎくらいだったと思います。
それから2週間近く経過して、再び最初に診てもらった総合病院の診察の日になりました。結果からいうと、左胸の乳癌であると。さらには右胸にも小さな癌があり、他にリンパ、腰椎、頭蓋骨への転移が見られるとのことで、ステージⅣでした。
治療は乳癌治療のガイドラインに沿って行われるという話で、ステージⅣの現状ではすぐに手術をすることは不可能で、抗癌剤治療の後に可能なら手術を行うとのことでした。
2.抗癌剤治療
母が受ける次の治療は鎖骨のあたりにポートを作るための手術でした。
これはこれから抗癌剤治療を行うに当たって点滴を簡単にできるようになるためのバイパスみたいなものを作る感じだと思います。
診察から10日〜2週間後にポートを入れる手術とそのまま抗癌剤治療に入るために3日の入院となりました。
手術は簡単なものであっという間に終わりました。
抗癌剤治療は3種類やるという話で、その1つ目が始まりました。抗癌剤治療は1回目は必ず入院して開始となります。その後は通院で週に1度とか2週に1度とか、そんな感じです。この辺は正確には覚えてないのですが、1つの抗癌剤治療には2ヶ月くらいかかったと思います。もちろん、その抗癌剤の種類によって点滴だけではなく、飲み薬のものあったりするのでケースバイケースですが、母の場合は初回は入院であること、点滴での投与であることは間違い無いです。
最初の抗癌剤は真っ赤な色の毒々しいものでした。
母は幸いなことに副作用は強く出ませんでした。
抗癌剤の点滴が終わって家に戻ると、その日は倦怠感が強く出て横になってはいましたが、それ以外は元気そのものって感じでした。
ただ、治療開始からしばらく経ったところで髪の毛がごっそりと抜け始めました。
抜け始めるとあっという間で、抜け毛が凄すぎるからと普段お世話になってる美容師さんに事情を話して切ってもらうことにしました。ベリーショートどころか前髪を少しだけ残した坊主頭になっていました。
抗癌剤、3種類だったか2種類だったか少し失念してしまいましたが、抗癌剤治療がひと段落したその年の10月の初め頃の診察で、抗癌剤が予想よりの効果が出ていることを知りました。
「手術できます」
医者のその言葉をとても嬉しく感じたのを覚えています。
3.手術
手術は10日間の入院で行われました。
左胸の大きな乳癌とリンパ節郭清(悪い部分を取り除くの意味)、さらには右胸の小さな乳癌も切除という大きな手術でした。
左胸の乳癌はとても大きなものだったので、左乳房は全摘出となり右乳房は部分摘出。手術は左胸摘出後に体位転換をした後に右側の手術ということで、長時間に及びました。僕と兄貴が控室で待っていたのですが、朝の9時に始まった手術が終わったのは夕方の5時でした。手術は無事に成功したとのことでした。
今はコロナ禍なので入院患者とは面会ができない病院がほとんだと思いますが、当時はコロナ禍前だったので、手術当日は僕が病院に泊まって付き添いました。
経過も良好で、日に日に元気になっていき無事に予定通りに退院。
退院前に看護師さんからリンパを流すマッサージを教わったのですが、僕には少し難しく感じました。単にリンパを流すだけのマッサージなのですが、なぜかやたらと難しく思ったんですよね。
このマッサージを怠ると、リンパ郭清の影響でリンパ液がうまく流れてくれずに腕が数倍に腫れ上がるとのことで、少しビビりました。
4.退院から放射線治療が始まるまで
退院後しばらくは安静にしていましたが、気持ち的な問題もあったのでしょう、10ヶ月ぶりくらいに晴れやかな顔を見たように思いました。ほんの少しずつですが、髪の毛も生えて来ました。ただ、母の場合は年齢が年齢だったので(当時70だったかな)、黒い髪の毛は生えて来ませんでした。グレーの細い髪の毛が少しずつ生えてきて、伸びていきました。
手術が11月の頭だったのですが、放射線治療が始まるのは年が明けてからでした。
クリスマスが過ぎたくらいだったかな、夜寝る直前の母に、
母:「なんかね、頭のこの辺りがぶよぶよする感じがするんだけど触ってみて」
と言われました。
触ってみるとなんとな〜くぶよぶよする感じはしましたが気になるほどではなかったのと、寝る直前で部屋が暗くてよくわからなかったってのもあったのですが、後からこれが僕の後悔の1つとなっていくのでした。
我が家は穏やかに年末年始を迎えました。
しかし、それが最後の穏やかさとなりました。僕の心の中では・・・
5.放射線治療開始から異変の始まり
正月休みが終わってすぐに放射線治療が始まりました。
放射線治療はまた別の病院で受けることになっています。放射線治療ができる病院は限られているとはいえ、僕の住んでいる田舎はあまりにも少なく感じます。これは後編でも書くと思いますが、同じ国、同じ医療水準で治療が受けられるとしても、住んでいる場所によっては平等ではないと感じます。
それでも、もしかしたら放射線治療を車で30分以内の病院で受けられるのは恵まれている方なのかもしれないって今は思っています。
放射線治療は、基本、毎日受ける(それなのに何故か土日祝日は受けられない)、1回1回で効果が出るのではなく設定(癌の状態による)した総量の治療を受けてようやく効果が出るものと説明されました。
総量っていうのは、例えば設定値が100で、1度の放射線治療が10とします。1度の治療を受けて10の効果が得られるのではなく、10回の治療を受けて100に到達したところでようやく効果が出てくる・・・という感じです。
これも概念みたいなものなので、間違っている部分があると思いますので、調べてみてください。
年が明ける前に1度この病院で診察を受けて治療の説明などを受けました。年明けすぐに始まった放射線治療が終わるのは2月の半ば過ぎ、2月の末の差し掛かる頃まででした。
放射線治療が1番きつかったかもしれません。
朝1番で病院に行き、順番待ちをして治療を受ける。会計が終わって帰れるのはお昼ちょっと前くらい。大きな病院なら通常の診察でもこのくらい時間がかかるのは当たり前なのですが、これが月曜日から金曜日まで毎日となると、ただ送り迎えをして付き添っているだけの僕ですら病気になるんじゃないかってくらいに疲れました。冬ってこともあり、積雪が邪魔をすることもあったりで。
家に帰ってくると母と僕2人でダウンするみたいな毎日が続きました。
それでも頑張って休むことなく通院していたのですが、2月に入って母の体に異変が起こります。
母:「腰が痛くて歩けない」
疲労からくるものかな〜と母も僕も思いました。
実際に歩けないわけではなく、最初は杖も不要でした。でも、すぐに杖が必要となり、病院帰りに僕の用事の買い物に付き合った母はお店の中で歩くのが辛そうに見えました。
放射線治療中に見かねた先生が整形外科での受診を段取ってくれました。整形外科でCTを撮ったところ、多分腰椎滑り症じゃないかってことでした。高齢者によくあるやつです。でも、家では僕の支えがないと動けないし、ベッドに横になるにして介護が必要になっていました。父が介護保険を受けていてケアマネージャーがついていたので、ケアマネさんに相談をして母も介護保険を受けて車椅子を借りることになりました。
そのためには為には普段通っているクリニックで診察を受けたりと手続きが面倒だったように思います。父も車椅子、母も車椅子で我が家はちょっと変な感じになりました。愛犬は何故か嬉しそうでしたが。
放射線治療も終盤に入っていきましたが、母の腰の痛みは見てられないほどになっていました。
6.入院
放射線治療が終わってから1週間後あたりに、ずっと治療を受けていた病院での診察の予約が入っていましたが、母の状態があまりにも悪かったので、放射線治療が終わった翌日に急遽病院に連絡を取り、翌日に診てもらえることになりました。
乳癌の先生の受診ではまずその腰が心配だからと、その病院の整形外科に回してもらいました。整形外科ではMRIの予約を取ってもらうとともにコルセットを作るための採寸をしました。数日後にMRIの予約が取れました。
そしてその前日の夜のことです。母が病院で診てもらうのだからお風呂に入りたいと言ったので、僕が手伝ってお風呂に入りました。
僕:「髪も洗ってやるよ」
自分でできるからいいと母は言ったのですが、いいからいいからと洗ってあげました。これまで僕も必死で闘病に付き添っていたとはいえ、大きなミスをしていたことに気づきました。年末に母が頭のこの辺がぶよぶよすると言っていた場所が、赤くなっていました。そして、確かにぶよぶよに。
僕:「ねぇ、お母さん。あまり心配することはないと思うけど、頭のこの部分が少し赤くなってるんだ。明日の受診の時にお医者さんに伝えてね」
母:「なんだろうね〜。痛くも痒くもないのにね」
母の癌は腰椎と頭蓋骨に転移している・・・
最初のPET-CTでわかっていたはずなのになぁ〜。年末の時の段階で警戒しなかった僕の完全なミスです。
MRIを受け整形外科の先生の受診です。
診察室ではMRIの写真が見れるようになっていたのですが、パッとみて僕でもわかってしまいました。
整形外科の先生:「ここのところになるのですが、腰痛はこの癌のせいになります」
その後、乳癌の先生の診察を受け翌日から入院することになりました。
7.最期
入院は3月3日だったと思います。
説明や手続きが終わり、母は笑顔でした。なんとなくですが、少しホッとしたようなそんな雰囲気だったと思います。
乳癌の先生からの説明はモルヒネ投与についてのものでした。
モルヒネが入り、しばらくして母がぼんやりするようになりました。モルヒネの成果な〜って思っていたのですが、そうではありませんでした。僕は毎日母の病室に朝から夕方までいたのですが、母と話をしていると僕の携帯電話が鳴りました。
着信:○○総合病院
病院にいるのにその病院から電話が来るのもおかしなもんです。
僕:「お母さん、○○くんから電話がきたからあっちで話してくるね」
そういって病室を出て電話に出ました。先生が少しお話をしたいとのことだったので、そのまま先生のところに。
先生:「脳は髄液ってものに浮かんでるのはご承知ですか?」
僕:「はい」
先生:「実はその髄液に癌が転移していまして・・・」
先生の話だと母がぼんやりしているのはモルヒネのせいではなく、その転移のせいだろうと。治療法としては抗癌剤もあることはあるのですが、効果を得られるのは難しい。可能性があるとしたら放射線治療だろうと。
入院している病院では放射線治療ができないので、民間の救急車を利用して以前放射線治療を受けていた病院に移動して治療を受けることに。
放射線治療を受ける手筈が整った頃には母の意識は無くなっていました。
入院している病院に行き、民間の救急車に乗ったところを見て、放射線治療の病院に移動するっていう感じで初日は終わり、翌日からは放射線治療をする病院に僕が先に行っている感じで。どちらにしても午前中に母の病室に行っているので、病院間の往復をする感じにはなっていましたが。
何回くらい治療を受けたかな。
5回くらいだったか、もしかしたらもう少し少なかったか。
午前10時くらいに病院に行こうと家で準備している時に病院から電話が入りました。話があるとのこと。
先生:「現状だと放射線治療のために移動するのは難しいと思います。移動中に何があるかわからないのです。」
つまりは母の治療はここで終わりということでした。
どうしますか?
そんな風に問われましたが、選択肢は1つだけでした。
僕:「これ以上、母に辛い思いさせたくないです」
そんな風に答えるくらいしかできませんでした。
それから2週間とちょっと。
母はずっと意識のないまま、他界しました。
8.次回へ
淡々と書くととても冷たく感じますが、僕の感情の動きは次回へ。
なんか、しっかりと覚えているようで忘れてるし、忘れているようで覚えているもんだな〜って感じました。何度も当時を思い出して泣きながらだから少し時間がかかってしまいました。しかもこんなに長文になるとは・・・
次回は今回よりも1ヶ月前のところから始まり、1週間後くらいに終わるのでもっと長くなるかもですね。
お付き合いありがとうございました。できるだけ早く次を書きますね。
主夫の1日 ー動画編集有り編ー
なかなか更新できないブログ、ちょっともどかしいです。
昔、ブログブームの頃に始めたやつはネタがなくても毎日更新していたものなのですが、今は文字文化から動画文化になっているし、自分が置かれてる立場の変化だけじゃなく、コンテンツ過多で積みプラモ、積み本、積みアニメ・・・そして更新できないブログに編集できてない動画となるわけですね。
言い訳はここまでにして。
僕は主夫業もやっています。
未婚なのでカテゴリー的には主夫とは名乗れないそうなのですが、家族のために家事をこなしているという意味ではがっつり主夫なわけです。
そんな主夫業を数年専業でやっていて、状況が変わって何年か前から兼業になっています。
そして動画編集を始めてから1年半ほど経過し、うまくいってる部分、うまくいかない部分色々でています。そんな僕のとある1日を書こうかなと。
ただそれだけの回ですw
1.とある1日のタイムスケジュール
- 06:30 起床
- 06:45 朝のルーティン(ゴミ出し、仏壇にお供え、洗濯、スマホチェック等)
- 07:15 友人より電話
- 08:00 NHKの朝の連ドラ視聴
- 08:15 動画編集開始
- 10:00 食料品の買い出しへ
- 10:30 夜と自分のお昼のお料理開始
- 12:00 お昼を食べる
- 12:30 乾燥し終わってる洗濯物を畳む
- 13:00 少し休憩をはさみ、再び動画編集へ
- 16:00 動画編集終了(途中20分程寝落ち)
- 16:30 掃除(LDK+廊下階段、トイレ)
- 17:30 晩御飯を作る
- 18:00 晩御飯を食べる
- 19:30 家族が帰宅、晩御飯を食べさせる
- 20:00 自室に戻りNetflixでアニメを見る
- 23:00 キッチンの後始末(食洗器から食器を出す、ゴミをまとめる等)
- 24:00 ベッドに入りスマホでゲームしたり、YouTube見たり
- 26:00 少し寝落ちしていたところに友人からLINE
- 27:00 就寝
2.食事を作るっていうこと
これはあくまでも買い物以外1日家にいた日のスケジュールで、主夫業多めの日ですね。他のパターンもあるのですが、この1年はこれが多いです。
食事(炊事)に関してですが、僕の場合お昼に夜の分もほぼほぼ作ってしまいます。揚げ物など作り立てが美味しいものの場合は下ごしらえまでにして、夕方の時間を少し前倒しにして作り始めたり、家族の帰宅に合わせたりって感じですかね。
予算が少ないのと無駄にするのが嫌なので、3,4日分くらいの献立を考えて買い出しをするのと、2,3日分の作り置きというのを念頭に置いて調理します。
お昼はもちろん1人で食べるのですが、家族がいつ帰ってくるかわからないので、家族の帰宅に食事を合わせるとなかなかにやっかいなので、晩御飯も早めに1人で食べます。家族ってのが自分の子供だったり、奥さんだったりなら何がなんでも一緒に食べるっていう選択をするのですが、そうじゃない家族(伏せときます)なので、正直な話、合わせてられないわけです。
お料理は得意だったつもりですが、「手抜き」というものが重要なファクターになった瞬間があって、それ以来、得意とは言えなくなりましたw
でも、ノウハウは普通の男性よりはあるかもなのあで、そのうちブログで書こうかなっても思っています。
3.掃除・洗濯
掃除は苦手というか嫌いというか。
本当は同居してる家族に半分は負担して欲しいのですが、まったくやってくれないんですよね。僕自身、リビングにいる時間ってのがどんどん少なくなっているので、それくらいはやって欲しいと。かといって掃除してーって言うと機嫌が悪くなるので自主的に家族が掃除するように仕向けています。
つまりは掃除をあえてしないのです。
でも、家族がそれで平気なので根負けして僕が掃除してますね、100%
近年相次いで家族に不幸があり、今は2人暮らしになっています。
でも家はまあまあ大きくて、もてあましているってのもありますね。トイレも洗面台も1つで十分なのに2つあったり、使ってない部屋が複数あるから荷物をおきっぱにしてちらかしたり。僕の生活に余裕がない現状なのでなかなか手をつけられませんが、いい加減にそういう無駄なものを片づけたり、家を一度綺麗にしたりしたいなーって感じです。
洗濯ですが、乾燥がついていても干す派でした。
しかし、今年の夏は雨が多いし湿度も高めがつづいてましたよね。自然と乾燥をつかわざる日々が続いていたのですが、干すっていう作業を省くのはこんなにも楽なのか・・・と味を占めてしまい乾燥までやるようになってしまいましたw
乾燥が終わった段階ですぐに畳む場合がほとんどなのですが、この日はタイミングがあわなくて、食後になってしまった感じですね。朝元気なタイプなら、夜間の電気代が安いうちに乾燥まで終わらせてしまって、起床後すぐに畳むってのが理想なのですがそれやるとほんとに朝だけでバテてしまうので、今はできません。過去にはやってましたし、将来的にはそうしたいところです。
4.動画編集
最近さぼり気味の動画編集ですが、何気に在宅で動画編集だけで食べていけたら・・・って思っていたりします。主夫業がどうしてもやらなきゃいけないってのと、もう1つ理由があるのです。犬を飼いたいんですよね。で、犬を飼うなら今度は後悔のないようになるべく多く一緒にいてあげたいんですよ。この話もそのうち書きたいと思います。
動画編集ですが、この日は朝ドラを見終わった時点で開始していますが、早い時は家族が出勤してすぐの7時45分に始める時もあります。
理想は10時の買い物の前に1本仕上がっているパターンです。ショート動画ならこれも可能だし、切り抜いて動画にしたい箇所がたくさんあってノリノリの時は5分程度の動画なら可能です。
しかし、そうはいかないもので、最近は5分程度の動画でも1日で終わらないってことが多々あります。切り抜きたい箇所がない・・・このパターンが多いのですよ。
10時までに動画編集が終わっていれば、午後は自分の事ができるし、翌日分や先々を考えて動画編集の下準備もできます。また、素材作りなんかにも時間を割けますね。今年の5月あたりは1日6本動画を作るなんて日もあったし、平均で3,4本作れていたのですがなかなかに難しいですね。
午前中の2時間でテロップ入れまで終わっていたら余裕があるって感じですね。
午後の作業で余計な部分のカット、素材入れ、確認、仕上げ、サムネ作り・・・14時か15時には終われる内容です。それがテロップ入れに手こずると、17時まで動画編集にかかってしまうこともあります。
それで全然構わないし、20時くらいから就寝までの時間も動画編集にあてていた時期もあったし、そうすべきって思うのです。
しかし、そこまで時間をかけてしまうと先がないし、最近は切り抜き動画というものに関して疑問をもっているのもあって、なかなかはかどらないのですよね。あとはここ数年怒涛のように色々あった僕のメンタルがヤバい状態になってるのもあります。
今はとにかく休みたい・・・
そんな気分に7月くらいからシフトしてるんですよね。
がむしゃらにやればいいわけじゃない、でも編集技術を身に着けるにはがむしゃらな部分があった方がいい、しかし心がついていかないみたいな。
5.正直な気持ち
世に言われてるよりも主夫(主婦)って大変です。
時間もたくさんあるのも事実ですが、ここに書いていないことにプラスして、献立を考えるだけでも1時間とかかかる時があります。自分のレパートリーの中で適当にすませてしまうことも多々ありますが、健康の事や節約の事を考えるとなかなかにクリエイティブな作業です。
他にも市役所にいったり、生活必需品の買い出しがあったり、いわゆる名前の無い作業がたくさんあったり、一筋縄ではいかないのです。
少し前まで介護っていう作業も僕にはありました。
母親(主婦)なら子育てっていう大事なものも加わるわけで、主夫・主婦が家を保つために行ってる作業というものがどんだけ大変なものか、近年ようやく実感するようになって、母親の偉大さを痛感してばかりです。
これにプラスして動画編集をやりはじめたわけで、これからはさらにいかにお金になる仕事も増やしていかなければならない・・・
ま、なんか、追い込まれてるのですよw
この数年で我が家に起こったトラブルのあれこれ、僕の個人的な喪失感などなど詳しく書きたいのですが、それはそれでこのブログの趣旨と異なるのでやめておきます。
さてさて、次は間をあけずに更新したいです。頑張ります!
諦めた?岡田斗司夫切り抜き
岡田斗司夫さんの切り抜きチャンネルをやっていました!
正確に言うとまだやっているつもりです。
でも、3月に始めたチャンネルでありながら、この2か月更新がないです。これはやめた、諦めた・・・っていう部類にはいるかな。
どうして岡田さんなのか?どうして今年の3月っていう遅いタイミングで始めたのか?どうして諦めつつあるのか?この辺のことを書いていきたいと思います。
1.唯一の楽しみは岡田斗司夫っていう時代
僕にはそんな時代があったのですw
この話はもう1つやっている、愚痴ばかりの陰々鬱々とした方のブログがばれてしまうのであっさりと書くことをお許しください。
ニコ生岡田斗司夫ゼミが始まったはたしか2011年の話だったかと思います。
当初は月1でやがて毎週になっていったわけですが、すぐにはまりました。
そもそもBSマンガ夜話などで岡田さんの事を知っていたのですが、話の面白さがたまらなくて、しかも自分があたかも物知りになったかのように錯覚させられる心地よさもありました。
僕のネット歴はまあまあ長いです。
パソコン通信ってのも経験しているし、配信っていうやつだとYahoo!メッセンジャー時代、ニコ生、YouTubeときているわけです。
ネットに詳しい方だとYahoo!メッセンジャーの後にはポッドキャストだったりピアキャスだったり他のサービスはどうしたんだ?ってなるかもしれませんが、僕は定期的にネットに飽きてもいるのですよwそういやmixiもやっていませんし。
ネット熱が上がっては下がって、時々消えては、また上がって下がって・・・
そんな風に上がり下がりを繰り返しながら、ネット創成期(そんな昔はやってないw)から、黎明期を経て、ネット隆盛期に辿り着いた次第です。今となっては生活に欠かせないものになりましたね。
2011年は、僕はネットに飽きる時代に突入していました。
2ちゃんが面白くなくなりつつあった時代だったし、ニコ動は少し思ってたのと違うって感じ始めていたたし、ニコ生には将来性があったし、いくつかおもしろい配信を見てもいたけど、なんかつまんないな~ってなっていたのです。
そんな中で会ったのが岡田斗司夫ゼミでした。
ま、実際にはとあるアーティストさんの生配信にドハマりして、それから随分と長い期間推し活をしていたのでで、「唯一」ってのは間違いですが、そのアーティストさんの話をこのブログでは絶対にしないので、唯一とさせていただきました。
ま、ま、2011年はそんな運命の年だったのです。
どうして岡田斗司夫ゼミにはまったのかなどは、番組の内容などを詳細に書いていくことになるので、それはまた別の話とさせてください。
話は戻ります。
僕はとある理由で自由の少ない生活をしていました。
それでも時間がたくさんあったので、ネットなどを楽しみに生きていたのですが前述した通りにネットに飽きて、やることがない、楽しみがない・・・そんな状態に陥っていました。そして、何かしらの理由がないと自分の部屋に行けない、自分の時間として使えない・・・そんな不思議な日々でもあったんです。
そんな中、日曜日の岡田斗司夫ゼミの日だけは自分の時間として許可をもらっていたんですよ。堂々と使える時間として。だからはまっていったってのもあるんですよね。
もちろん刑務所に入っていたわけでもなんでもないので、自由な時間はあったのですが(例えばそのアーティストさんに関する時間とか)、決まった日時に決まった長さの時間をもらえるのはそれだけったということです。
なので、岡田斗司夫ゼミには思い入れも強いのです。
2.タイミングが悪かった切り抜き解禁日
それから10年程経過して昨年の5月頃に岡田斗司夫さんは切り抜きを解禁しました。
ひろゆきの切り抜きがYouTubeを席巻してから1年程経過していたでしょうか。切り抜きというものに興味をもちはじめていたし、僕自身、とあるYouTuberの方の動画制作をお手伝いすることになり、2か月程動画編集の練習をしていた頃でした。
僕自身は何のおもしろみもない人間だし、動画に出てよい顔面じゃないし、声でもない。でも、YouTubeで何かしたいな~って気持ちはあって、動画編集をやるようになっていたのもあって切り抜きに目をつけていたんですね。
「けっしてお金儲けが目当てじゃない」
のですよ・・・
これは理解してもらえないかもですが、好奇心の方が大きかったです。当時は。
今は事情が変わってほんの少しでもお小遣いになればって気持ちもプラスされてはいるんですけどねw
岡田斗司夫さんの切り抜き解禁のタイミングと同時に飛び付きたかったんです、ほんとは。
それが、その頃我が家では僕の親父が体調を崩して入院していたんです。
状態が凄く悪いってわけではなかったのですが、年齢的な事もあり、病院への入院と施設への入所を繰り返す感じでした。何があるかわからない・・・ま、そんな感じだったんですね。
僕自身、時間を見つけたら動画編集の練習をしたりはしていたのですが、家の事で手一杯というのが実情でした。ちょうど1年前くらいに親父は肺炎を患い、少し時間をおいて他界しました。
何かを新規でやれるような状態ではなかったんですね、詳しくは書けませんが。動画編集の依頼は知り合いからだったので、途中お休みをもらうこともできましたしなんとかできたのですが。もちろん切り抜きをやっていても自分の匙加減でなんとでもできましたが、親父の病状の悪化でやめざるをえなかったでしょうね。
岡田斗司夫の切り抜きは受ける!
そう思っていた通り、ひろゆき同様にこの1年でYouTubeを席巻しましたね。僕がやっていても鳴かず飛ばずのチャンネルだったと思いますが、それでも悔しい思いはしたかもですね。それからうまくいかなかったことを親父のせいにしたかもしれません。
ま、一言で言うと、家の都合で新たに何かを始められる状況ではなかったということです。
3.岡田斗司夫切り抜きのススメ!
諦めつつあるのに、ススメるってどういうことなんでしょうねw
ただ、岡田斗司夫さんの切り抜きすることはかなりオススメです。収益化という観点はおいといてではありますが。その理由をいくつかあげていきます。
①とにかくおもしろい!
岡田斗司夫ゼミはとにかく面白いです!
オタキングの異名の通り、アニメ、漫画の考察は群を抜いて興味深く面白いです。その他にもSFの話、映画の話、どれもおもしろいです。
時事の話や未来を読むような先見の明も素晴らしく、緊急事態宣言が最初に出た頃にコロナをいち早く、戦争であるとし少なくとも3,4年はコロナ禍が続くことを予想したし、現在は世の中が漂白されていくホワイト社会・ホワイト革命を提言されています。岡田斗司夫さんを深く知ることで、多くの学びがあるはずです。しかも楽しく。
②切り抜きポイントの宝庫
ひろゆきさんの切り抜きを見る感じだと、リスナーさんからのスパチャに答えるものが多い様に思います。それもそのはずで、ひろゆきさんの放送の8割くらいはリスナーさんの質問に答える形式だからです。それはそれでおもしろくて、ひろゆきさんの見解から学べる部分がたくさんあるので。
それに対して岡田さんは月に1,2度サイコパスの人生相談をしますが、そのほかの放送はアニメの解説などを講義方式で進行するので、トピックが多いです。つまりは切り抜きポイントが多いというわけです。それはひろゆきさんも同様なのですが、岡田さんの場合は単純構造になりにくいんですよね。
それだけではなく、岡田斗司夫ゼミ以外も含めた10年以上の動画のストックがあるのが素晴らしい所です。
岡田斗司夫さんの動画は有料放送部分と切り抜き対象外の指示がある動画以外は切り抜きOKなので、途方もないストック(=宝の山)があるわけです。
③切り抜きだけじゃなく、本家も見たくなる
岡田斗司夫さんだけではなく切り抜きのおもしろい傾向の1つに、本家の元動画よりも切り抜きの方が再生数が多くなる現象が起こるということです。
それだけ今の世の中の人達は短い動画を望むし、ポイントポイントを押さえれば他の部分はいらない(極端にいうと)という考えで動画を求める傾向があるようです。
そうなると切り抜きを見たから本家の岡田ゼミは見なくていいってなりそうです。
しかし、岡田斗司夫さんの真骨頂はやはり岡田斗司夫ゼミを全編通して見てなんぼなんですよね。部分部分を切り取って見てもためになるしおもしろいのですが、岡田さんは全編を通して見る事で理解度が深まるように放送を作っています。
なので、切り抜きで見て満足した人はそれはそれでプラスになるし、切り抜きでさらに知りたくなった人は岡田さんの元動画を見ればさらに満足できるってことです。
岡田さん自身、切り抜きが動画配信のこれからの形であるとおっしゃっているし、ルールを守って切り抜きをどんどんやってくださいともおっしゃっているので、岡田さんは切り抜きがプラスになると考えているのだと思います。
④動画を作りやすい
これ、テロップについてです。
さすが岡田さんクラスの言論人になると経験値が半端ないのでしょう。言葉が聞き取りやすいのです。もちろん、岡田さんはプロなので当たり前と考えますが、プロの中でも聞き取りやすさはトップクラスなんだと思います。
PremiereProを僕は使っているのですが、Premiereさんも聞き取りやすいのでしょうね、自動翻訳が高確率でまともに翻訳してくれます!
これ、かなり大きなことなんですよ。
切り抜きの動画編集においては、切り抜き部分を探すことと、テロップ入れがとにかく時間がかかるのです。なので、テロップづくりの時間が短縮できるのはありがたいのです。
以前に2度程書きましたが、切り抜きの無編集動画が削除されるようになった昨今においては、切り抜き元の人が嫌がろうが、リスナーさんが嫌がろうが、全編テロップ入れは必須となっています。それを踏まえてもテロップを入れやすいのは本当にたすかるのです。
Premiereなどのソフトの自動テキスト化は素晴らしく進歩していますが、それでもまだまだ間違えが多く、直していくのは時間がかかる作業なのです。
⑤動画を見つけやすい
上の話とリンクするのですが、切り抜き動画編集において切り抜きネタを探すのが大変ってパターンもあります。最新のものならば頭に入っているのでなんとでもなるのですが、過去の動画を探したり、関連する動画を探すのは一苦労です。
しかし岡田斗司夫さんは、岡田斗司夫アーカイブというサービスを提供されています。
こちらがそれになります。
有料ではありますが、過去の岡田斗司夫さんの動画を全て見ることができる上に、ワード検索もできるんですよね。例えばジブリとかナウシカって検索すると、関連する動画が出てくるっていう寸法です。
どんな動画を作ろうかな~
って迷うことが多々あるのですが、その日のYahoo!ニュースなんかを見て時事ネタに関するワードを岡田斗司夫アーカイブで検索して動画にするなんてことを何度もやったことがあります。
時事ネタとは全然違うアプローチで話題のワードの動画ができたりして、作っていても楽しかったです。岡田斗司夫さんの切り抜きをする醍醐味ですね!
そうなんですよ、切り抜きって作ってる側もためになるし楽しいんです。
それからどうしても聞き取れなかった言葉があった場合、動画の文字起こしもあるので最高に役立ちます。
6.諦めちゃいましたw
岡田斗司夫さんの切り抜きはおもしろい!
と、ここまでさんざんに語ってきたわけですが僕はあきらめざるをえないようです。
理由としてはもう1つやっているまあまあ伸びているピザラジオの切り抜きですら満足にできていないこと、岡田斗司夫さんの切り抜きがあまりにも伸びないこと・・・ですね。
登録者数は13人です。
たくさん再生されたといっても、せいぜい300再生程度。一桁再生も多々あります。
何もしなもてくも再生数が伸びるショートでも1000程度が最高。
さすがに気が滅入りますw
岡田斗司夫さんの切り抜きチャンネルは1000を超えていると思われます。
さらにはトップのチャンネルはかなり好調でゆるがない感じで君臨しています。切り抜きポイントもおもしろいし、作りもよいし、最新のものもしっかりと網羅されています。隙が無いとはこのことで、岡田斗司夫切り抜きはもう満たされてるってもおもうんですね。
さらにはここにきて無編集動画問題が起こりました。
これは前もって予想していたものではあるのですが、自分の動画を振り返って無編集にあたらないようにするためにはどうすれば良いか・・・と考えた時に、もっと工夫が欲しいとなりました。
そこで導入したのがオープニング代わりのダイジェストでした。
ダイジェストなので2,3分の動画に付けるのは滑稽です。最低でも5分以上、理想は10分以上の動画につけるべきっていうのが僕の考えです。それでもかなりの時間を要しました。さすがに収益化できそうもないのに動画編集に5時間、8時間と使うのは・・・となったわけです。
この記事の内容にそぐわないのですが、僕の体調の悪化も原因の1つです。6月は休もうって思っていたのに、7月、8月と体調が悪化してるのでその辺が大きいですね。
色々な問題が解決しピザラジオの方が軌道にのったらまたやるかもしれません。なので、2か月空こうが、4か月空こうが時折動画をアップしたいとは思っています。
さてさて、最後に岡田斗司夫ゼミの切り抜きチャンネルには再生回数0の動画が存在していますw
これがいつ再生されるのか、いつまで0のままなのか、個人的には見ものだったりするっていうことを残してブログを締めたいと思います。
今回も長文を読んでいただきありがとうございました。
ドラゴンボールの年齢制限
前々回の記事で今後アップ予定のタイトルをなんとな~く書きましたが、ちょいと予定変更です。
前回のドラゴンボールの記事ですが、楽しくて盛り上がり過ぎてしまって、ついつい長文になってしまいました。それで、書きたいことが書けていなかったので、続編ですw
果たして需要があるのかないのかわかりませんが、誰かに見てもらうために書くのではなく、書きたいことを書くのがブログの真骨頂っても思うので、またまたたらたらと書いていきたいと思います。もしよろしかったらお付き合いくださいね。
※下ネタです
まずは前回の記事のリンクを貼っておきます。長文ですが初期のドラゴンボールについて書いてあります。
1.アニメのドラゴンボールに年齢制限?
僕は無印ドラゴンボールをアマゾンプライムで視聴しました。
もちろん過去にテレビで視聴しているので何度目かの視聴になるのですが、見ている途中で気になったことがありました。
7+
13+
といったものが画面の左上にあるのです。
なんだろな~って考えてしまったのが僕のアホなところで、すぐに気付くべきものですよねw
普段はアマプラはほとんど利用していなくて、ネットフリックスばかりなので疎かったってのはありますが、これは年齢制限のやつですね。7歳以上、13歳以上ってことです。
でも、無印ドラゴンボールなんて過激な表現もないし、健全そのものだし、悟空の正義感や勇気ある行動を親が子供に見せたいみたいなお話なんじゃないかな~ってすら思うわけで、年齢制限必要なのかな?って思いました。
しかし、すぐに必要な理由がわかりましたwなんなら第1話からわかりましたw
2.無印ドラゴンボールの年齢制限の理由
アマプラの年齢制限についてはあまり詳しくありません。
アダルトコンテンツではないので、そこまで厳しく制限がかけられているわけではないと思います。
しかし、無印ドラゴンボールが放送開始された1986年と現代とはまるで状況が違うんですよね。簡単にいうと、暴力表現やポルノ表現について年々厳しくなっているわけですよね。
昭和のバラエティ番組なんて普通にゴールデンタイムにおっぱいが出てました。志村けんさんの番組でもそうですし、なんならおっぱいポロリをするためだけの水泳大会なんていうのもあったわけです。
今となっては考えられないことですよね?
今期のアニメで『異世界迷宮でハーレムを』なんてものもあるにはありますが、有料チャンネルでの放送以外は音声・画面ともに大きく規制がかけられているわけです。わざわざ3バージョンの無規制と規制をかけたバージョンを作るほどなんですよね。深夜アニメではあるのですが。
ドラゴンボールの話に戻ります。
①暴力
アマプラのドラゴンボールには、ほぼ全てに7+の年齢制限がかけられています。
この制限の理由は「暴力」です。
ドラゴンボールは亀仙人修行編からの天下一武道会編にて一気にバトル路線にシフトチェンジされていますが、それ以前もバトルや戦闘がほとんどです。レッドリボン軍の幹部達による暴力は少しきつめかな~って思う所は有りますが、悟空の戦いは正義の戦いだし、暴力表現としてはそこまできつくないです。でも、制限が必要なんですね。
②性的表現?
そして時々ではありますが、13+の制限がかけられている回もあります。
こちらは「裸・裸体」になります。けっして性的表現ではないですw
え、ドラゴンボールってそんなに裸が出てくる?
ってなりますが、性的表現みたいな言葉とは程遠い感じでけっこうでてきますw
3.エッチな笑い・表現、かわいい裸
ドラゴンボールに出てくる「性的」表現を担っている人物は、亀仙人、ウーロン、ブルマ、そして悟空の4人がメインになります。他にも出てくるにはでてくるのですが、多くはこの4人です。
①亀仙人
言わずと知れたスケベジジイですねw
他の人達の項目で一緒に話すことがほとんどなので、ここでは簡単に済ませますが、初期のドラゴンボールではかなり重要な役割を担っている亀仙人ですが、お願い事、頼み事をする見返りとして、ブルマに何かしらのエッチな要求をしてきます。
これがシリアスな漫画だったりなら、過激な要求になり酷い話になっていくわけですが、そこはドラゴンボールです。
- ぱんちぃを見せておくれ
- ぱいぱいをつまませておくれ
- パフパフしておくれ
この程度ですw
②ウーロン
ウーロンも亀仙人同様にただただスケベです。
南部変身幼稚園時代に先生のパンツを盗んで追い出されたくらいの筋金入りのスケベですw
変身スキルを使って強そうな風貌となり、村を脅しては若いかわいい女の子を差し出させるという悪事を働いていた。しかし、変身して強くなるわけでもないし、5分しかもたないため、村から連れ去った女の子たちにわがまま放題されて困っていた感じ。
ブルマに対しても当初はスケベなことをしようとばかりしていたが、全て失敗に終わり、ずっと行動を共にするようになる。ブルマの実家のカプセルコーポレーションに居候したり。
ウーロン最大の罪としては、亀仙人に新たな性癖を植え付けたことにつきる。これに関しては次のブルマの項目にて。
③ブルマ
ヒロイン・・・という感じではないが、少ない女性キャラの中でも物語に大きく絡んでいきます。そもそもブルマがいなければ物語が始まっていないし、世界も救われていません。悟空はブルマと出会わなければ単なる田舎の小僧で終わっていた可能性もあるし、ラディッツが襲来してきたときにあっさりやられて終わりなんてことも予想できてしまうわけですね。
とにかくブルマは重要なキャラクターなのです(一番好き)。
しかし、そんなブルマですが物語の序盤では散々な目に遭っています。
- 悟空に寝ている所、股間をパンパンされる。
- 悟空に寝ている所、パンツを脱がされる。
- 亀仙人にパンツを見せるつもりでめくって見せたが、ノーパンだった。
- ヤムチャにシャワーを浴びている所をしっかり見られる。
- ウーロンに服を借りるが、バニーガールの衣装だった。
- 亀仙人にフライパン山の火を消す代わりにパイパイをつまませてくれとお願いされる。
- ウーロンに変身してもらい代わりに亀仙人にパイパイをつまませようとするが、ウーロンがパフパフの大サービスをしてしまう。
- 占いババ編のヤムチャvs透明人間戦で亀仙人の鼻血を出すためにおっぱいを見せる
占いババのところに一気に飛びましたが、他にも色々あったかもです。
まー、ブルマは盛大に脱がされてますねw気が強いけど、なんだかんだで優しいブルマさんですが、悟空にはナチュラルに色々やられて、ウーロンと亀仙人には散々なわけです。
ウーロンが亀仙人にパフパフしたもんだから、これ以降、亀仙人の要求はパイパイをつまませてくれから、
久し振りにパフパフしてくれ
にかわりましたw
④悟空
筋斗雲に乗れる悟空には下心もスケベ心もありません。
ではなんで年齢制限にひっかかってしまうのでしょうか。
これは純粋過ぎるから
っていうのが理由です。
そもそも無印ドラゴンボール初登場時の悟空は12歳です。亀仙人のようなスケベ心があるわけもありません。そして祖父の孫悟飯と死別してからは1人で生活しており、世の中の常識的なことともかけ離れているわけです。
すぐにちんちんだしちゃうんですよ、悟空さん
ある時は川で水浴びをするために、ある時はおしっこをするために。天下一武道会の武舞台で観客のいるまえでちんちんをだして、ぽりぽりかいてしまうシーンもあります。
どうやらこれらの悟空のちんちんシーンが年齢制限にひっかかってしまうようなのです。
でかでかと貼ってしまいましたが(アニメ映像ではなく手持ちの単行本を撮影しました)、悟空のちんちんってこんなんですよw
果てしなく可愛いです、こんなんw凛々しい青年に成長した悟空のちんちんはかわいくないと思いますが、それはさすがに描かれていないわけで。
これも時代なんですかね~。
悟空のかわいいちんちんは年齢制限にひっかかるのですね。
4.ドラゴンボールZとの違い
アマプラで東映チャンネルに加入してドラゴンボールZを見始めました!
ドラゴンボールZは年齢制限無いです。全年齢対応です。無印ドラゴンボールとの違いとしては、亀仙人やウーロンがスケベなことをしようとしてもとことん拒否されます。それから前述しましたが、悟空が大人になっているのでかわいくないちんちんが描かれていません。
しかし、悟空の子供の悟飯くんがいるのです!
悟飯はピッコロとの修行で裸になる機会が何度かあります。大猿になって服が破れたりね。その時はうつぶせで倒れるようになっていて、お尻がちらっと見えるだけです。たっしょんをするシーンもあるのですが、横向きになっていて見えないようになっています。
ということで、Zはとても健全な作りになっていますので、世の親御さん、安心してお子さんに見せても大丈夫です!!
5.ちょっとくらいいいんじゃないかな?
さて、近年の放送規制などはどんどん厳しくなっています。
これは良い事だと思います。性的表現を自ら選択して見るのならまだよいのですが、見るつもりもないのに目に入ってしまうのは困るからです。
しかしながら、あまりにも厳し過ぎるのはおもしろくないんじゃないかな~っても思うのです。これに関しては記事丸々1つ使っても書ききれないくらいに難しい問題なので、ここではこのくらいにしておきますが。
今回はこのくらいで。
ドラゴンボールの記事、もう1つアップ予定です。おたのしみに~。
神龍が叶えた願い事をいくつ知ってますか?
今日は2つ目の記事になります!!
前の記事で書いた通り、体調不良とお盆疲れで何もできてませんでした。ほんと情けないことに。で、その期間に見ていたのが『ドラゴンボール』です!Zではなく、無印ドラゴンボールです!
1.初期のドラゴンボールを知ってる?
①西遊記ベース
ドラゴンボールの始まりは、山奥(と思われる)に1人で住んでた孫悟空が、ドラゴンボールを探しにやってきたブルマとの出会いから始まります。育ての祖父の孫悟飯の形見のドラゴンボールを手放したくない悟空は、願いを叶える時に貸すみたいな感じでブルマのドラゴンボール探しの旅に同行することになった・・・
これが物語のスタートですね。
そして、旅の途中で立ち寄った村(町?)で悪さをしていたウーロンと出会い、ホイポイカプセル強盗のヤムチャとプーアルに出会い旅を続ける感じ。ヤムチャとプーアルはドラゴンボールを横取りしようと、こっそりと悟空、ブルマ、ウーロンの3人に付いて行く感じ。
ブルマ=三蔵法師
悟空=悟空
ウーロン=猪八戒
っていうイメージです。
ブルマが夏目雅子さん、悟空が堺正章さん、ウーロンが西田敏行さん(もしくは左とん平さん)、ヤムチャが岸部シローさんっていうわけですw
もちろん西遊記とは目的も違うので、あくまでも西遊記の設定を少しだけベースにした感じですね。僕も詳しくは知らないのですが、週刊少年ジャンプ的なテコ入れで、主人公としては少し地味な悟空を際立たせる、バトル物にするってことで、この西遊記設定は悟空の名前と牛魔王、筋斗雲、如意棒にのみ残った感じかなって思われます。
②無印ドラゴンボールのデータ
- 1986年2月26日放送開始
- 1989年4月19日放送終了
- 全153話
- 原作の第1話から、第23回天下一武道会まで
- オープニング曲「魔訶不思議アドベンチャー!」歌:高橋洋樹、作詞:森由里子 作曲:いけたかし 編曲:田中公平
- エンディング曲「ロマンティックあげるよ」歌:橋本潮 作詞:吉田健美 作曲:いけたかし 編曲:田中公平
③内容の変化
当初はドラゴンボールを7つ集める冒険を描いている。
その中で敵が味方になり、大きな敵が現れて・・・みたいな王道の冒険ファンタジーって感じだろうか。
最初に7つのドラゴンボールを集めて神龍が呼び出されるまでは、この路線を通すが悟空が亀仙人(無天老子)の元でクリリンと共に修行を開始し、第21回天下一武道会に出場するころから武道家によるバトル路線に変更される。
元々悟空は強い設定であったが、世界は広く強い人はまだまだたくさんいるみたいな感じから、ピッコロ大魔王編などを経て強さを求めつつ、強い外敵から地球を救う物語へと変化していく感じ。ラディッツの襲撃からスカウターが登場し強さの数値化が図られるが、それは『ドラゴンボールZ』からの話である。
亀仙人の修行
↓
カリン塔に登る(カリン様の修行)
↓
世界放浪(筋斗雲を使わすに世界を巡る)
↓
超神水によるパワーアップ
↓
神様の修行
という段階を経て悟空は強くなっていく。
クリリン、ヤムチャ、天津飯らはその後を追う形になるが無印ではカリン塔に登る所まで。
対ピッコロ大魔王戦はキングキャッスルでの戦いになるが、マジュニアとの戦いは第23回天下一武道会の決勝での戦いであり、悟空はマジュニアことピッコロ大魔王との試合に勝つことに固執する。退治するのではなく、勝つことに執着するのは過去2回の決勝で優勝できていないからというのもあるが、何より正々堂々と戦い勝利することがバトル物の王道だったな~と久々に見て僕は感じました。
④『敵』の変遷
ウーロンやヤムチャ、牛魔王は当初は敵として登場する。
それが味方になったり、好敵手と書いて友と呼ぶ関係になったり、義理のお父さんになったりwもちろんピッコロもZで味方になっていくわけだが、そうじゃない敵も存在する。
ピラフ一味
↓
↓
ピッコロ大魔王
兎人参化(と・にんじんか)や金角銀角などの敵も登場するが、これらは単発での敵であるので除外。天津飯と餃子も初期は鶴仙人の弟子として敵として登場するが、大きく悪さをしていないのとドラゴンボールを巡る戦いではないので除外。桃白白はレッドリボン軍が雇った殺し屋なので、レッドリボン軍に含まれる感じですね。第23回でサイボーグ化して再登場する桃白白は悟空と戦ってないので除外。鶴仙人の弟っていうおもしろい立ち位置なんですけどねw
ヤムチャも一応最初のドラゴンボール争奪戦で悟空達と争っているといえば争っているのですが、なんとな~く微妙な立ち位置ですよね。むしろ味方してるし、最終的には完全に味方だし。
ピラフ一味はピラフ、シュー、マイの3人組なんだけど、最初の争奪戦からの敵で、ピッコロ大魔王を復活させてるし、無印ではずーっと絡んでくる敵です。しかし、ドジでかわいらしく憎めないのも特徴。レッドリボン軍がドラゴンボールを集めることができなかったのに対して、ピラフ一味は神龍を呼び出し願いを叶える一歩手前までいっているので優秀です。
レッドリボン軍は世界最強の軍隊であり強敵として登場しますが、最終的には悟空1人に滅ぼされます。無印ドラゴンボールの特徴として、シリアス展開が多いZと違いコミカルな笑いが必ず入っています。後述するピッコロ大魔王編はシリアス展開が良い部分なのですが、それでも多少はコミカルな要素がちりばめられています。
レッドリボン軍ではマッスルタワーのムラサキ曹長のような笑いしかない敵も登場するし、シルバーやブルーのような比較的シリアスなキャラも登場します。ま、ブルーはおかまちゃんですが。
なにより、心優しい人造人間、人造人間8号ことはっちゃんが登場するのが大きいです。ずーっと後の物語となる人造人間編、セル編に関わってくるのですから面白いです。
そしてピッコロ大魔王。
僕的にはドラゴンボールの中で一番好きなのがピッコロ大魔王編です。後に心強い味方となるピッコロは最悪最強の敵として登場するのですが、悟空の生死が不明だったり、クリリンが死亡していたりで、亀仙人と天津飯、餃子の3人がピッコロ大魔王を滅ぼすためにドラゴンボールを探しをするが最終的にはピッコロ大魔王と対峙しなければならないとか、魔封波とか、あの感じが面白かったな~。
2.神龍が叶えた願い
無印では4回願いが叶えられていますが、いくつご存じですか?
- ピラフ一味との競り合いの末に
- 四星球(すーしんちゅう)を求めて
- ピッコロ大魔王との攻防
- ピッコロ大魔王戦を終えて・・・
以上の4回です。
①ピラフ一味との競り合いの末に
悟空達はピラフ一味の城の中に閉じ込められてしまいます。
ピラフはドラゴンボールを並べて、
「出でよ神龍!」
と言います。神龍が現れるのですが、変身して城を抜け出したプーアルとウーロンによって阻まれます。
「ギャルのパンティをおくれー!」
物語中で最初に願いを叶えたのはウーロンでした。
②四星球を求めて
2回目の争奪戦では悟空達には特に願いは有りませんでした。
悟空が祖父孫悟飯の形見である四星球を探す旅です。しかし、聖地カリンでカリン塔を守護するボラが桃白白に殺されてしまう。息子ウパのためにもボラを生き返らせるのがドラゴンボール集めの目的になります。
悟空はレッドリボン軍を打ち破り、ドラゴンボールを7つ集めてボラを復活させるのでした。
③ピッコロ大魔王との攻防
最強最悪の敵ピッコロ大魔王を滅ぼすために、亀仙人・天津飯・餃子の3人はドラゴンボールを探す旅にでます。
しかしピッコロ大魔王の手元にもドラゴンボールがあり、最終的に3人はピッコロ大魔王と対峙することに。亀仙人の魔封波は失敗に終わり、ピッコロ大魔王に神龍を呼び出されてしまいます。
岩陰に隠れていた餃子が飛び出し、ピッコロ大魔王を滅ぼすために願いを途中まで言うが、気づいたピッコロ大魔王に殺されてしまう。
「永遠の若さを」
ピッコロ大魔王の願いは叶えられる。
そして、神龍はピッコロ大魔王に殺されてしまうのです。
④ピッコロ大魔王戦を終えて・・・
ピッコロ大魔王を打ち破った悟空は神様に会うことになります。
ドラゴンボールを作ったのは神様でした。神様はドラゴンボールと神龍を復活させ、サービスとして1年程度の待機時間を要せずにすぐに神龍を呼び出せるようにしてくれました。KAME HOUSEにおいてあった7つのドラゴンボールが輝きだし、その場にいたヤムチャ、天津飯、ウーロン、プーアル、ランチ、ブルマらによって神龍が呼びだされます。
「ピッコロ大魔王に殺された、クリリン、亀仙人、餃子を生き返らせて!」
「それではダメだ。ピッコロ大魔王に殺された人達を生き返られせて!」
クリリン達だけではなく、世界各地でピッコロ大魔王達に殺された武道家たちも生き返りました。地球のドラゴンボールは一度の願いで何人でも生き返らせることができる・・・これも後々の伏線ですね!
3.ドラゴンボールを探した人達がどんな願いを叶えたかったか?
これ、何気に面白かったです。
①ブルマ
彼氏ですw
物語では最初にドラゴンボールを集め始めた人物なのですが、叶えたかった願いは彼氏でした。ブルマがいなければ世界は滅びていたと言われるほどの人物なんですけどね
②ヤムチャ
女性恐怖症を治したい
でしたwイケメン設定のヤムチャですが女性が苦手でした。しかし、ブルマとの旅を通してブルマだけは苦手じゃなくなるのです。彼女が欲しいけど女性が苦手なヤムチャ、イケメン彼氏が欲しいブルマ。2人の目的はここで達成するのでした。ま、ヤムチャはブルマに振られますけどねw
ブルマもヤムチャもこれ以降何か願いを叶えようとはしていません。
ブルマはカプセルコーポレーションのお嬢様でレッドリボン軍ですら作ることができなかったドラゴンレーダーを作れるほどの天才なので、特に必要なものはないのかもしれませんね。ヤムチャは武道一直線になりましたし。
③ピラフ
ピラフ一味の頭目ピラフが叶えたい願いは世界征服でした。
この項目に出てくる人達と比較してピラフとピッコロ大魔王は意外とまともな願い事をもっていました。どうしても悟空に阻止されてしまうピラフはピッコロ大魔王を甦らせて、世界征服の野望を果たそうとしますが、世界の4分の1をもらうどころかピッコロ大魔王に追い出されてしまいました。
④レッド総帥
レッドリボン軍の総帥であるレッドの願い事は、身長を高くしてくれでした。
世界最強の軍隊であるレッドリボン軍を従えているので、自分に足りないのは身長だけだっていう考えだったようだ。
悟空1人に滅ぼされたレッドリボン軍だけど、後の人造人間編に登場する人造人間を造り出したマッドサイエンティスト、ドクター・ゲロ(人造人間20号)が在籍したわけで、彼に頼めば身長くらい伸ばしてもらえたかもしれませんね。しょうもない願いです。
⑤亀仙人達
どうやっても勝てない相手である、ピッコロ大魔王を滅ぼそうとした。
⑥ピッコロ大魔王
最強の魔王ピッコロでしたが、亀仙人の師匠である武泰斗の魔封波によって電子ジャーに300年封じ込められていました。
全盛期の力を得るためにピッコロ大魔王が神龍に叶えてもらった願いは永遠の若さでした。
ピッコロ大魔王ほどの強さがあれば世界征服は可能なはずなので、後々まで考えればまともな願いと言えるでしょうね。
⑦ウーロン
ギャルのパンティです
⑧悟空
桃白白に殺されたウパの父ボラを生き返らせることです。
神様が作った希望のドラゴンボールですが、歴史的に見れば自分の大きな欲のために(例えば世界征服、大金を得るなど)使われることが多かったそうです。悟空を除いてはわりとしょうもない欲のために使おうとしているところが、この漫画・アニメの面白いところだって思いました。
しかし、身長がコンプレックスだった人にとっては大きな悩みだし、彼女・彼氏が欲しいっていうのも永遠の悩みなわけです。欲というより、悩みを無くすことなのかもしれませんね、叶えて欲しいことって。
4.しかしドラゴンボールZは・・・
さてさて、久し振りに見た無印ドラゴンボールでしたが、かなり楽しませてもらいました。話の流れはほぼ覚えているのですが、アニメオリジナル部分などはほぼ覚えてませんでしたw
やはりおもしろいんですよ、ドラゴンボール。
無印はほぼ30年前のアニメなのですが、画質や作画などのクオリティを考えると現代のそれとは比べるべくもないのかもしれませんが、それでも丁寧に作られた良作でしたよ。何よりも今でも光を失わないそのストーリーはたまらないものがあります。
で、せっかくなのでZを続けて見ようってことになったのですが・・・
アマプラ会員無料視聴はできなくて、有料でしたw
ドラゴンボールに限らず古いアニメって敬遠しがちですが、ガンダムとか面白いものがたくさんあるので暇なときは見てみるとよいと思いますよ。
体調の悪さと切り抜きの未来
あの感染症ではないのですが・・・
ずーっと体調が悪いです。
このブログは何気に有料プランでやっていて、Googleアドセンスの許可が下りるように20~30の記事をコンスタントにアップするってのをやらなきゃならないのですが、情けないことに体調不良によってちょっと難しくなっています。
体調不良は3月の末くらいからなのですが、その時々の忙しさやストレス、ちょっとした心の痛みみたいないのに左右されていて・・・ま、心の病なんだろうな~と。あとはお盆ですね。今年のお盆は新盆だったんです。両親がいないため、家のことを任されてる僕は大忙しでした。それで疲労も重なって病状悪化という情けない状態にw
ま、ま、言い訳タイムはこの辺にしといて、
他にもあるのですが、とりあえずこれらを近日中にアップする予定です。
最期の芸能人とファンの距離感は少しセンシティブなものになりそうなので、あくまでも予定ってことで。うまく文章がまとまれば良いものになると確信しているのですが、難しい話でもあると感じてるんですよね。
そしてもう1つ
『自我』と切り抜きチャンネルについて
これを記事にする予定でした。
急遽ではあるのですが、昨夜草案を作り、今日書く予定だったのですが、どう考えても人によっては気に食わないものになりそうだったので、このままこの流れで軽く書くのみにしようかと思います。どうしてもその流れが大きくなりそうだったら、動画やお名前をしっかりと提示して記事にしようと思いますが、ひと時の、しかも僕の目にたまたま入ったものであるとも思われるので、無駄に事を荒立てない方がベターだと考えました。
ま、ま、軽くふれます。
本日のブログはタグ無し、カテゴリー無しで雑記的に読んでもらえればありがたいです。
と、大前提というか前置きをしておきますw
手前味噌ですが、この記事に関連するお話です。
上記リンク記事も長文で読むのが大変と思われますので、簡単に説明します。
- 切り抜きチャンネルが増え過ぎてる
- 切り抜きチャンネルが続々とBANされている
- 無編集動画はBANすると切り抜きサポート企業が警告!
- サポート企業からのアドバイス
- 切り抜き動画編集に独自の視点を
的なことが書かれています。
ある程度から予想はできていたのですが、あまりにも切り抜きが増え過ぎてYouTubeのオススメが切り抜きだらけでうんざりしてる方も多いと思います。
切り抜きやってる僕自身も辟易してるのが現状です。ほんとごめんなさい。
ひろゆきさんや岡田斗司夫さんの切り抜きを初期からしている一部のチャンネルは成功者になってますので、その後を追うのも無理ないと思います。僕自身、環境の変化で少し稼がなくちゃならなくなった時に真っ先に頭に浮かんだのが切り抜きでしたので、言い訳もできないくらいに、申し訳ございません・・・と頭を下げたい思いですし。
それだけ切り抜きが多くなると悪質なものも増えていて、ただただ生配信や動画の1部をカットしただけでアップしたものが横行しています。
これがいわゆる無編集動画と言われるものです。
面白いトピックっていうのはみんなの目にとまるわけで、切り抜きチャンネルが複数ある場合は同じ内容の動画がYouTube上に複数アップされてしまうわけです。これがひろゆきさんや、岡田斗司夫さんみたいに数百(へたしたら千以上)の切り抜きチャンネルを抱えてるコンテンツの場合は、数百の同じ動画がアップされてしまうわけで、それが無編集動画となると困ったことになるのは目に見えてます。
それぞれの切り抜きチャンネルの人達は独自性をなんとか保とうとするわけですが、それができていないとYouTube側にBANされてしまうわけです。
先ほどのリンク記事の中にユーチューバーのナカイドさんの動画がリンクされています。
ナカイドさんの情報によると、切り抜きは個人ではなく企業としてやっている所が多々あり、その多くがチャンネル削除されて会社として成り立たなくなっているのが現状とのことです。
確かに切り抜きといえども、3~5分の動画1本を作るのにはそれなりの時間を要します。しかも無編集動画にならないようにテロップを入れる、何かしらの説明を入れる、画像や効果音を入れるなどをしていくと、1日作業になるのもざらです。
もちろん僕は個人でやっているわけですが、動画をどんどん作ろうってやっていた時は最大1日4本~6本の動画を作っていました。最初からテロップを入れることを最低限の動画作りの条件としてやっていたので、6本作るとなると20時間とかかかっていたと思います。
わりと大変だったりするんですw
なので、会社として切り抜きをやるっていうのは当然の流れかなっては思います。もちろん無編集動画を大量に垂れ流すというのは罪な行為だとは思いますが。
無編集動画の横行は切り抜きというコンテンツ自体を潰す。
これは誰もが考えるものだと思います。
そこでサポート企業はいくつかの動画作りのアドバイスをしているわけです。テロップを入れる、OPとEDを入れる、要所要所的確にカットする・・・などなど。
それでもBANされる動画が多くなったので、あらたなアドバイスとしてこんなものが追加されました。
「これまでは動画アップ主の意見や主観を織り込むことは嫌わる傾向にありましたが、今後はチャンネルの独自性を出すためにも積極的に動画アップ主の意見を動画に織り込んだものを作るべき」
ちょっと元の文章がぱっと出てこなかったので思い出しで書きましたが、つまりは動画を作った人の意見を入れるのもあり、むしろそういう動画を作ろうってことだと思います。
例えばひろゆきさんが、
「○○って映画、単調でつまらないんですよね~」
って言ってたとしたら、
「この映画は単調であるからこそ名作と言われています。その根拠は・・・」
的にどこからか映画評論などを拾ってきて、その根拠を理由にひろゆきさんの意見を論破する的なことを織り込むわけですね。もしくはその人独自の視点をいれて、ひろゆきさんに同調するとか、反論するとか色々な方法が考えられます。
しかし
ここで出てくるのが『自我を入れるな』問題ですw
僕はこうやって文章をたらたら書くのが好きなので、たまに切り抜き動画に主観をいれたり、いわゆる自我を入れたりしてしまいます。例えばこの動画です。
多分、本人同士はわかっていると思われることなのですが、それを言語化したみたいな内容が織り込まれています。あえてここでは詳細には触れませんが。
僕自身の言葉で綴っているので、それが『自我』と取られるのは当然のことと考えて動画を作っていますが、誤解を与えるような切り抜きはしていないので、僕独自の解釈ではないということを動画を見れば理解していただけると思います。・・・そんなことないのかなw
無編集動画の人にしても、自身の解釈などを織り込んで動画を作ってる人にしても、企業で作業的にやっていない限りは自我が入っていると僕は考えます。屁理屈かもしれませんが、
- 切り抜き動画をやるという自我
- この部分を動画にすると判断するという自我
- テロップを入れるか入れないか判断するという自我
まー、箇条書きにしてる時点で屁理屈感満載なのですがw
これらも自我でやってることって思うのです。人間が何かしらの行動を起こす、言葉にするなど言動を起こす以上多かれ少なかれ自我が伴うものだと思うのですね。
切り抜きが自我をもつな
この言葉が言いたいことはよく理解しています。
切り抜きは面白い部分を簡単に手短に見れるからいいんだ、そこに変な意見はいらない。俺が見たいのはひろゆきであり、岡田斗司夫なんだ!!みたいな。それに人様のコンテンツを使ってるのだから、余計なことはするな!!ってことなのかな~と。
これがもしかしたら正しい切り抜き文化なのかもしれないですね。
・・・と、昨夜とある動画を見て改めて考えなければと思ったことです。
本当は動画のリンクを貼ってとことん反論しようと考えていたのですが、「人様のコンテンツを使わせてもらってるんだよな~」って僕自身も痛感しました。なので、現状的に改めて反省して考え直した次第です。それでも何かしら言葉にしたかったので、こんな形でブログにしました。
ただ、いくつか言いたいのは、
切り抜きチャンネルがあれこれ自我を出すのは、あなたがサポートを依頼している企業のアドバイスであること、あなたの切り抜きチャンネルが増加したのはそのサポート企業から切り抜き開始しましたっていうメールが入ったから。
それから、切り抜きを削除する権利はもちろんあると思いますが、手っ取り早いのはその企業からのサポートを打ち切ることです。それでも一部の切り抜きからは収益を得たいと考えるのならば、MCMを個人でやるとか考えるのが1番かな~って思います。
DaiGoさんなど切り抜きを許可されてる方の中には、切り抜き登録を定期的に停止してる方もいらっしゃいます。この方式を採用するのも手ですよね。
サポート企業に登録されている以上は、自我をもった切り抜き動画を作るだろうし、削除していってもどんどん切り抜きチャンネルは増えていくと思います。
おっしゃってることはもっともなんですよね。
だから否定するようなブログにはしたくないって僕も考え直しましたし。
YouTubeもこの10年ちょっとで色々と変化してきたし、流行り廃りもたくさんありました。切り抜きはこの2年くらいの流れで流行りものの1つだと思うのですが、そろそろ何かしらの変化を迎えなきゃならない時期に入っただろうし、流行りも終焉に向かっているのだと思います。
僕は2つの切り抜きを諦めました。
でも、1つのチャンネルはもしかしたら年末くらいには収益化できるかも?って思えるところまでは頑張れました。
でも、潮時なのかな~って感じています。
人様のコンテンツをお借りして・・・この部分、凄く重いですよね。