切り抜き動画、始めました

動画に関するあれこれを辛口(気味)にお話ししていきます

世の価値観はどこに向かう?(甲子園の報道から少し考えてしまった難しくない話)

この3年間色々あり過ぎて疲れ果ててるのもあるのですが、今年の夏はダメですね~

色々と立て直さないとならないと考えてるのですが、体調不良と諸々の自由が効かない状態などでうまくいっていません。せめてこのブログだけでも…と思っているのですが、下書き状態で終わってるものが多々あるのみで公開できてないんすよね。

さてさて甲子園の決勝です!

テレビで見ながらこの記事を書き始めました。
親戚の子供がボーイズリーグで野球をやっていて、学生野球の在り方について色々考えることが多くて、その流れで今大会を見ていました。僕の地元の高校は善戦したし良いチームだったのですが早々に敗退してしまったので、より冷静に見ていたつもりでした。

でも、でもですよ。

なんすかね、マスコミの偏った報道は。
慶応と仙台育英の勝敗に関する報道は平等なのかもしれませんが、まさに判官贔屓とでもいうような慶応贔屓の報道は。

しかも打撃や守備、投手、監督の戦術、普段の練習などに関する報道ならまだしも、イケメン?美白?長髪?エリート?

なんかずれてるな~と。

終いにはプロ野球には興味はなく将来は企業の社長や弁護士を目指してるみたいな、本当に慶応の部員さん達が答えてるのかな~っていうような記事。なんだかな~って感じますよ。

たしかにプロスポーツ選手になるということは途方もなく難しいことだし、プロになったらなったで第一線で活躍することも、活躍し続けることも難しい。WBCなんてさらに夢のまた夢…
セカンドキャリアを支援する動きも盛んになっているけど、それでも高校の頃から就職を考えて大学に行った人よりは難しい面が多々あるもんね。

価値観としてもそうだし、自分自身の能力やキャリを考えても慶応の子たちがプロは視野にないってのは現実的ですよ(本当に慶応の子たちがインタビューにそう答えてるならばの前提ですが)。

でもその一方で小学校からずっとプロを目指して野球を必死にやってきた子たちが甲子園の舞台に立っているということも事実なんですよ。そしてそういった子たちのほとんどが夢破れるわけだけど、そういう子たちがいなければWBCでの熱狂もうまれなかったんじゃないかな~っても思うんです。

僕が違和感を感じるのは、慶応の子たちがプロを視野にいれておらず弁護士などを目指しているという事ではなく、それが素晴らしいと賛同する人達でもなく、それが正しいとする人、そうあるべきと反応する人、それが勝ち組みたいにする人たちなんですよ。

あだち充の漫画の主人公たちはみんな坊主じゃないです。

坊主が素晴らしいとは言いませんし、慶応の子たちが坊主じゃない事に対して特別な意味も感じませんし否定もしないです。僕の大好きな上杉達也も国見比呂も坊主じゃなかったですしね。でも、

「慶応の子たちは坊主じゃなくて青春を謳歌してる」

っていう発言を見ちゃったんですよね。
いやいやそれは違うだろ。坊主じゃなくてオシャレできるから青春なのか?女の子にもてそうだから青春を謳歌してるのか?坊主頭でドロドロになって、水をかぶりながら野球にうちこむのだって最高の青春なんじゃないの?

髪の毛を伸ばすことなんていつでもできるっしょ。オシャレすることも、彼女をつくることも(そもそも野球部もてるからなw)いつでもできる。でも、坊主頭でドロドロになるなんて高校生くらいまでしかできないよ。
そして現在は過去とは違い、坊主頭を強要しない野球部は増えています。それでも生徒自身が坊主を選択することが多いと聞いています。夏の甲子園常連の名門である福島の聖光学院は甲子園へ出発するにあたってメンバー全員が3厘くらいにまで髪を刈っていました。チームワークと熱意を感じる美しい姿でしたよ。こういう報道はほとんどなかったですよね。

慶応の丸太くんだったかな。
美白報道について、日焼けは火傷であるから疲労などが蓄積しないように日焼け防止のために日焼け止めを塗るようにしてるって答えていて、これはこれで素晴らしいことだと思います。

じゃ、坊主頭で暑さを軽減させるとか、清潔に保つため、髪をセットする時間を省くためってのは良いことじゃないのかな?

・・・

・・・

こんなこと言ってるとキリがないんだけどねw

慶応の子たちはエリートかもしれないけど、他の高校の子たちだって野球のエリートですよ。そして、マスコミのしょうもない報道がなければ慶応の子のことも他の高校の子と変わらずフラットに見ていました。

報道が過熱するのは甲子園大会が盛り上がるので良い事だと思いますが、方向性が間違ってないですか?

それからそれらの報道に対する反応がいちいちおかしな価値観を持ってるな~って感じますよ。20代で年収1千万を超えることが全てなのかな~?僕は完全に人生を失敗してる完敗の負け組だけど、それでも人生のほんの少しの瞬間に価値を見いだせています。人生の幸福度って人それぞれどころか、一人一人みんな違うものなんじゃないかな。年収1千万以上という価値観に拘るあまりに自分の人生の価値観を下げてしまってるんじゃないかなって思う。

坊主頭でドロドロになりながらも一生懸命に白球を追って、それでも甲子園に届かなかったっていう青春だって、最高の青春ですよ。

僕の大好きな漫画「H2」で千川高校の校長の母校が甲子園でボロ負けして、散々に馬鹿にされてしまったせいで自分の高校には頑なに野球部を作らないという設定がありました。でも国見くんは

「あの年の草成高校は勉強もしっかりやりながら甲子園に出場したんだ!それがどれだけ凄いことか!」

みたいに評するシーンがあります(ちょっと現在手元にコミックスがないので正確なセリフではありませんご了承ください)。今年の慶応高校はまさにそれで文武両道で甲子園出場どころか優勝に王手をかけています(現在9回裏の1死)。清原ジュニアも在籍していてただでさえ注目を浴びるわけですが、慶応の子たちだって思ってますよ、もっと純粋に野球に関することだけをインタビューして欲しい、報道して欲しいと。

今大会を通してもしかしたら大学卒業後にプロを目指す子だって現れるかもしれないし、今現在、しっかりとプロ入りを視野にいれて野球に励んでいる子だっているかもしれませんしね。

高校野球に関してはもうちょっと色々言いたいことがあるのですが、それはまた別のお話。

それから今回の甲子園に関する報道以外にも世の中変な事が多々起こってますよね。つか、僕自身にも推し活を通して変なことばかりの10年でしたし。これら変な事についてもあれこれ書きたいって思います。

 

僕自身、慶応高校応援してたんですよ。
近くに住んでいたこともあったし、清原好きだったし。それがあれこれ変な報道とその変な報道に対する変な反応を目にしてしまったせいで、この決勝を純粋に楽しめませんでした。

慶応高校、100何年ぶりの優勝おめでとうございます!

FF16エンディング考察(※ネタバレ有。あと何故かオッドタクシーのネタバレ有)

FF16、やはりなんだかんだで盛り上がってますね。

これはこれで成功だと思うんです、前の記事でも書きましたが。
で、エンディングの考察も盛り上がってる1つみたいです。僕的にはあまり興味がない部分だったりするので状況を詳しくは把握していないのですが、これはこれでゲームの楽しみの1つですよね。

僕自身、FF16に関しては考察を一切してません。

ハルポクラテスの大百科的なものは全て読みましたが、考察するほどには全てを把握してません。ファイナルファンタジーモードもクリアしてません(数分でやめたw)。その上でのエンディング考察ですので、すっげー薄いなこいつ!きっと頭髪も薄いに違いない!!って思われるのを覚悟で書いてますので、それでも良いのならお付き合いいただけると幸いです。

1.大きく分けて2説

エンディング考察は概ね2説に分かれているようです。
もしかしたら他にもあるかもしれないし、これからDLCが配信されるなんてことがあってさらにあれこれ考察されるかもしれませんが、現時点では大きく分けて2つです。

  1. クライヴ生存説
  2. クライヴ死亡説

超簡単に言うとこの2つですね。

ここから完全なるネタバレに突入するので、まだ未クリアの方は離脱をお願いします。

 

ネタバレ防止のため数行だけFF16の悪口でもw
FF16はダークファンタジーであるという事前情報があり、実際それらしき感じのストーリーでした。どの辺がダークなのかな~って考えると、例えばベアラーという奴隷の存在や主要登場人物の死とかその辺なのかと。
ダークファンタジーで誰もが思いつくのが「ベルセルク」だと思います。僕的にベルセルクは極上のダークファンタジーだと思います。主人公ガッツの目的は世界平和なんかじゃなくて復讐だし、主人公側だったグリフィスの闇落ち、蝕、人外モンスターのゴッドハンドや使徒達…パックみたいなちょっとした息抜きキャラはいるものの、とことん暗くてとことんダークですね。
そんなベルセルクと比較するとダークファンタジーとしてはぬるいです。FF16。もしかして、ずーっと暗いストーリー進行がダークファンタジーであると誤解してるんじゃないかってくらいにずーっと暗いですよね。画面も物語もキャラの表情も。血がドバっと出る、親父の首が転げる、奴隷制度…この程度じゃダークファンタジーとしてはまだまだな感じがします。それじゃ、街の滅亡とかその辺もかな~っては思います。FF16の場合は雰囲気的なものが大きいのかもしれませんね。

ドラクエに抱くイメージってどんな感じですか?

ドラクエって明るいイメージが強いと思います。でもストーリーはわりときついです。悲しいですよね。でも明るい。過去のFFナンバリングもストーリー自体は暗いものが多いかもです。でも明るいイメージも同居します。

ドラクエは世界そのもののイメージだったり、しゃべらない主人公の前向きさひた向きさだったり、暗い状況でも明るく生きる人たちだったり。ぱふぱふだったり、すらりんだったり・・・あとは鳥山明さんのキャラクターとすぎやまこういちさんの音楽も明るさを演出してくれてます。
過去のFFナンバリングもチョコボだったりモーグリだったり、ティーダの明るさ前向きさだったり。そもそも僕のイメージでは勇気と希望の物語だったりするんですよねFFって。どんなに暗くてつらい状況でもそれを勇気と希望で打破するみたいな。

ネタバレ防止のための行数稼ぎなので中途半端になってしまいましたが、とにかくダークファンタジーを作るっていうのならもっと踏み込め、もっともっときつくしろ!!っておもうのです。この程度だったらこれまでのFFの文法の中で作っても良いし、ドラクエを見習えとか思ってしまったのでした。
キャラ達が好きだったので、もっと明るく楽しそうなクライヴやジルが見たかったですよ。クライヴが気を抜いてるのってアジトの子供達と天秤を直してるときだけじゃないかな。

では、次章から話を戻します。

2.エンディングの本

アルテマと戦ったクライヴが最後、石化していると思われる手を星空に突き上げて、多分、そのまま死んでしまったのだろうというのがラストです。アジトでは世界の希望の象徴として子供が生まれるが、月を見て主人を待つトルガルとその横で泣き崩れるジル…
エンドロールが終わると母親に火を起こしてくれと頼まれる子供。

「魔法が使えたら簡単に火なんか起こるのに」

「それはおとぎ話の中の話でしょ」

親子のこんな会話。そして本がとじられると、「ファイナルファンタジー 著者:ジョシュア・ロズフィールド」の文字が。

エンディングをすげー簡単に書くとこんな感じ。

クライヴ達の物語はどうやらファイナルファンタジーという本で後世に語られていて、その著者はジョシュアを名乗っているということと、その世界ではすでに魔法が失われていることがわかるわけです。

そこで考察されているのがこの本の著者についててです。

そのままジョシュアが書いたものなのか、それとも他の人がジョシュアを名乗って書いたのかってことですね。

じゃ、ジョシュアじゃなくて誰が書いたのか?

そうなると自ずと浮かび上がるのがクライヴです。

クライヴがジョシュアを名乗って書いていたとしたら、クライヴは生きていたということになります。いやいやクライヴは死んだのだから無理があるだろう、あれは実はジョシュアが生きていて書いたんだ・・・等々考察されるわけですが、クライヴが生きていたのかどうかがキーポイントになる場合が多いようです。

3.僕の初見での解釈

僕がエンディングのラストのシーンを見て感じたのは以下のフローになります。

ジョシュアが生前執筆してたんだ!

でもジョシュアは途中で死んだのだからラストはどうやって書いた?

じゃ、クライヴが書いたのか?

ジョシュアもクライヴも死んでるって捉えるのが無理ないよな…

ジョシュアがアルテマ戦に向かう前まで書いていたのを後に誰かが補完し完成させたんじゃないのかな?

それは別にクライヴである必要はない。

ハルポクラテス?ジル?

その辺はどうでもいい。過去に魔法が使える辛い時代があって、今は平和で安らかな時間の流れる時代になっている…で、いいんじゃまいか

って感じです。
つまりは考察を放棄しましたw

絵面通りにジョシュアが書いた著作物であると僕は素直に思いました。
でもジョシュアはアルテマ戦の前に力尽きているので、クライヴとアルテマの戦いとその後のあれこれは書けないよなって。クライヴが生きていて、ジョシュアの後を継いで執筆したのがしっくりくるけど、ジルの事をあんなに泣かしてしまっているのに、実は生きてました(∀`*ゞ)テヘッってなったら、てめー(∀`*ゞ)テヘッじゃねーよ、テヘじゃ!!ってなるわけだしな~とか。

僕的にはジルが泣き崩れたのは月の横に輝いていた赤い星メティアが消えたことでクライヴの死を察したのではなく、クライヴの死が報じられたから泣いたんじゃないのかな~って思っていたので、正直な所、クライヴ生存説は最初から考えませんでした。クライヴはもしかしたら生きているかもしれないっていう風に捉えることもできたり、クライヴの死が確信できるような演出がなかったのは、これまで一緒に冒険してきて愛着がわきまくったクライヴの死を確定するのは残酷だから配慮したんだろうな~くらいな感じです。僕が物語を作るとしたら安易な生存は物語の完成度が低くなる感じもするので避けます。やるとしたら浜ちゃん主演のドラマ「竜馬におまかせ」みたいなラストですかねw生きてるなら生きてるとはっきりさせますよ。

3.ジョシュア生存説

僕は冒頭に2つ、クライヴ生存説とクライヴ死亡説の2つに分かれてるとしましたが、クライヴ死亡説の場合はジョシュア生存説って感じにつながるようです。

ジョシュアはそもそも体が弱かったです。
その上、ショッキングな出来事が起こり、さらにはクライヴと離れていた10数年(18年になるのかな?)の間、アルテマに関する探索を続ける中、フェニックスのドミナントとして相当無理をしてきたことが伺えます。さらにはアルテマを自身の中に封じるなんていう無茶もしているわけで、ラストバトルに辿り着いた時点で奇跡的なことのようにも感じるのです。

そもそも、ベアラーやドミナントがどのくらい魔法を使うと石化して死んでしまうのかさっぱりわからないのでなんとも言い難いのですが、ジョシュアはリーチがかかっている状態だったんでは?と思うわけです。クライヴと合流した後も随分と調子悪そうでしたから。

そして決定的なことが起こりジョシュアは命を落とします。

クライヴがフェニックスの力をジョシュアに行使しますが、あれは治療目的や蘇生が目的ではないと思います。FF16の世界ではフェニックスには蘇生の力がないと明言されていますし。クライヴがあの時ジョシュアに使ったフェニックスの力は、せめてジョシュアの傷ついてしまった体を元に戻し綺麗な体にして安らかに眠ることを祈ったものでしょう。僕的には間違いなくそう思ってるのですが、ま、多分そんな感じでしょうね。

それでもジョシュアが生きていたという説がささやかれているのは、クライヴがアルテマを倒した後にアルテマの力を吸収したことによってレイズが使えるようになったんじゃないか、フェニックスの力がパワーアップしたんじゃないか?っていう理論から論じられているようです。他にもジョシュア生存説の理由があるようですが、大きな要素としてはこれです。

ありえない話ではないと思いますが、物語としてスムーズじゃないように感じます。僕の直感ですが。

考察というより圧倒的に感覚だったり自分の好みではあるのですが、ジョシュアはあの時点で死んでいる…そして、ファイナルファンタジーの著者はジョシュアではない、もしくはジョシュアの後を引き継いだ何者かが完成させた本である・・・と、思います。

3.クライヴ生存説

ジョシュアが死んでいるのだったらクライヴは生きてるんじゃね?

って思うわけですが、これもちょっと薄いな~って思います。
クライヴ生存説については、石化がまだ腕の一部でしかなく完全石化したわけじゃないので生きている、泣き崩れたジルが立ち上がり遠くを見てほんの少し微笑むような表情をしているので希望が見えたのじゃないか、ハルポクラテス関連のサブクエストで最終的にクライヴがハルポクラテスからペンを譲り受けることからファイナルファンタジーの著者がクライヴだという説などなど。

こういう考察をする方達って本当に尊敬します。
良く見てるな~って思うし、僕なんかゲームの序盤なんてすっかり忘れちゃうわけで細かい所までしっかり記憶してること、もしくは考察のために何度かプレイしてることに尊敬します。文章や動画で少し拝見したのですが、ほんと感謝感謝です。ありがとうございます。

色々な視点からクライヴ生存説が語られていますが、僕的にはハルポクラテスから「ストラスの羽根ペン」を譲り受けるのだけどその時に、全てが終わったら剣からペンに持ち替えてクライヴの物語を綴って欲しいという言葉がそえられています。

FF16はラスト近辺で発生するサブクエストによって主要登場人物達のエピソードが深堀されます。レビュアーの皆さんの中にはこれらのサブクエストをやらずにゲームの評価をするなって方達がいらっしゃいますが、実際にその通りでジルやトルガルのエピソードを知らずにクソゲー扱いは酷いわけです。
以前も書きましたが、僕的にはメインストーリーに組み込めないにしても、終盤も終盤に一気に大量にサブクエストを発生させるみたいな一括処理みたいなことをやらずに、長い旅路の中で少しずつ上手に語られなかったのかと悔しく思ったりもするわけです。

そして、ハルポクラテスからペンを譲り受けるクエストもその中の1つです。

伏線やサブクエスト的なメインから少しはずれたストーリーをどう解釈するかによって考え方や見え方は変わってきます。

例えば伏線と思われたものが回収されずに終わってしまったなんてことがよくあります。こういうことは自分の人生に置き換えて考えてみてください。高校…じゃちょっと遅いか。中学の時にクラスに好きな子がいたとします。それがあなたの初恋であったとしましょう。好きだったのだけどそれを告げられずに卒業を迎えてしまいます。卒業式が終わり学校を後にするときにその人からニコリと微笑みかけられます。あなたはずっとその微笑みが頭から離れません。しかしその後その人とは会うこと叶わずにあなたの人生の幕が閉じます。これ、すっげー伏線だと思うのだけど回収されずに終わりましたよねw

人生にはたくさんのノイズがあります、良いもの悪いものどちらも。
そのノイズに気付かずに通過してしまう場合もあるし、先ほどのたとえ話のように一生ついて回る場合もあります。そしてそんなノイズ達の中にはしっかりとした答えや結末、結論が得られるものもあります。それを回収というし、回収されたときに伏線だったと気付くわけです。

「あ~、あの時か!わたし覚えてるよ。あの時ねあなたのチャックががっつり開いてたの。それ見て思わず笑ってしまって。卒業式の間もずっと開いてたのかと思ってw」

後日、その人と会うパターンの世界線で微笑みの理由を聞いたらパターンです。しょうもない伏線だったわけですね。回収されなければ初恋という良い思い出が付随された素敵なノイズだったのに・・・

話は戻ります。

物語を作るときに無意味なものを混入させたくないって思うのが人間です。
でも、実際の人間の人生っていうのはノイズだらけなわけです。意味の無いものがいかに多い事か。

ハルポクラテスのメッセージには大きな意味があり、しっかりと回収されるのならばクライヴが生きていることの伏線だと考えるのは至極当然のことだと思います。そして、クライヴは生きていて、ハルポクラテスの想いを受け、ジョシュアの後を引き継ぎ物語を完成させる・・・すっごい美しいラストです。きっとジルもトルガルも幸せな結末を迎えるしね。僕的にもこんなに良いラストはないです。

その気持ち良さすっきり感こそ落とし穴なんじゃないかな~って思いました。思う必要ないのにw

ハルポクラテスからペンを譲り受けることはノイズみたいなものです。伏線と考えずにノイズであると思いましょう。実際の人生がノイズだらけであると同様に、物語の中にも回収されないままの伏線、つまりはノイズがあるわけです。
しかしながら、ハルポクラテスの想いは戦乱が終わった後のクライヴの生き方を指し示すものでしょう。二度と人類が間違いを起こさないようにするためにペンを取れ…これがハルポクラテスがクライヴに託した思いです。これで単なるノイズではなくメッセージとして完結します。これはこれで話は終わりなのです。

他にもクライヴ生存説の理由はあるのでしょうが、僕が一番強いと思った理由がハルポクラテスでした。僕的な言い分ではありますが、これがクリアとなるとクライヴ生存説は無いと言えるのです。僕の思い込みの中ではw

4.じゃ、なんなの?

僕が考えるFF16のエンディング考察ですが・・・

ラストに出てくるファイナルファンタジーはジョシュア・ロズフィールドという名の作家さんが書いた空想の物語である!!

という感じです。
身も蓋もないですが、FF16で体験した物語は作家さんが書いた空想のおとぎ話なのですよ。そもそもFF16がフィクションじゃねーか!ってなりますが、メタ的な感じでジョシュア・ロズフィールドという作家が書いたフィクションなんです。つか、ジョシュアの正体は吉Pじゃね?っても言えるかもw

ま、ま、途中で考察を諦めたって書きましたよね。

実際は諦めたわけじゃなくて、ある時から考察し過ぎるのって無粋かな~って思うことが多々出てきたのです。物語を楽しんだ後に色々と考えを巡らせるわけですが、考え過ぎてしまっても僕程度じゃ良い考察はできないっても思ってるのです。

岡田斗司夫さんみたいな考察を見てしまうと、自分のやってる考察はしょうもないな~って思ってしまうというのも理由の1つですね。全く考察しないのは思考停止になりかねないので一通りは考えるようにしてますが。

5.神様視点の存在

でも、実際にはジョシュアにもクライヴにも見ることができなかったシーンがいくつかFF16には存在しています。冒頭の方にある軍事会議もそうですよね。クライヴもジョシュアもいませんので。

もちろん物語の関係者の誰かはクライヴもジョシュアもいないシーンに参加しているので、あの物語の関係者達に取材をして物語をジョシュアかクライヴが深めていったという可能性も捨てられないので、著者がジョシュアもしくはクライヴの可能性もぬぐい切れません。

それから物語にはどうしても神様視点みたいなものが存在しちゃうものです。

クライヴ視点で物語が進行してはいるけど、クライヴが画面に見えている時点でユーザー視点で物語が進行しているといえますよね。ユーザー=神様視点なわけです。神様がいる以上はクライヴが知り得るはずがない情報も知り得てしまうわけです。

オッドタクシーをご存じでしょうか?

オッドタクシーは主人公のセイウチの小戸川をはじめとして登場キャラクター達みんなが動物の姿をしています。見ている僕たちは擬人化された動物達の物語だと思って見るわけですが、物語の終盤に実は主人公の小戸川は子供の頃に受けた事故の影響で人間が動物に見える症状を持った人だとわかります。つまりは動物に見えた人達はみんな普通の人間なのです。しかし、小戸川視点で物語が進行していくので登場人物全てがそれぞれのパーソナリティに関連した動物に見えるのです。

でも、そんなオッドタクシーにもちょっとした変な部分があります。

それは小戸川が関わっていないシーンなのにみんな動物に見えてるシーンがあるのです。人間が動物に見えるのは小戸川の病気のせいなわけで、小戸川が関わっていない、その場にいない、回想してるわけでもないシーンは小戸川の視線を通してないので動物ではなく人間に見えなければおかしいのです。

ジョシュアやクライヴが立ち会ってないシーンがジョシュアかクライヴが書いた本に登場すること、小戸川がいないのに人間が動物に見えてしまうこと、少し違うようで共通点があると思います。
物語を作る上ではどうしてもご都合主義的なものが必要になる場合もあるということです。

オッドタクシーの場合、途中で登場人物が人間に見えてしまっては台無しなんです。ブルースウィリスが死んでいると途中でわかってしまうようなシーンがあっては台無しなんです。そのためにはご都合主義的なことも有りなんです。

ジョシュアやクライヴがいないのにシーンとして存在しているから、彼らの著書ではないとしてしまうのはちょっと違うかな~って思うわけですね。

6.凡ゲーかもしれないけど悪くないのです。

さてさて、なんだかんだでFF16が頭から離れない僕です。
神ゲーでも良ゲーでもないし、ストーリーもイマイチです。登場人物達は好きなので、登場人物と世界観はそのままで作り直して欲しいなんても思ってしまうFF16ではありますが、発売からひと月半も経過した今でもあれこれ語られているわけだから意味がある作品だったと思っています。

誰もが気に入るというのは無理な話です。
でも新しい人たち、若い人たちだけに迎合するのも少し違うかな~って思いますよ。レビューの中にはあれこれ表現は違えど老害黙ってろ的な僕にはとてもあいたたたな言葉を見受けられます。でも、FFを最初からプレイしてきた人の多くはもう老害と言われてしまう年齢になっているんです。

だからそんな我々が期待するFFってのがあってもいいよな~っても思いますよ。

自分が老害であるっていう意識があるし、若い子たちが気に入ってくれなければ先がないというのもわかっているので、いくらでも「今・ここ」に合わせるつもりではいますけどね。

好きだからこそ・・・

今回も徒然って感じなので章分けせずに普通のブログで。

今日、YouTubeでとあるレビューを見ててすっごい違和感を感じました。
僕も主観的なレビューを多々こうやってブログで書くので気を付けなくてはならないわけなので自戒的な意味もこめて文章にしておこうかなと。

この数年…いや、もう10年くらいの話になるのかな、「ファン」に対して「信者」って言葉をよく聞くようになりました。推し活文化が盛んになってる現在は少し様相も違っているように感じますが、ファンと信者の違いってなんなのだろうってよく考えます。

僕自身も10年ちょっと熱烈な推し活をしていました。

冷静に客観視するまでもなく「信者」でした。

推しが提示するものは全て素晴らしい!!!

これが信者の定義の一部なのかな~なんて思いますが、僕はまさにそうでした。推しが発表する制作物・創作物などあれやこれ、どれもが間違いなく良いものだろうっていう前提で見たり聞いたり色々するわけです。

最初の数年は間違いなくこれだったのですが、僕自身、表現者を目指していた時期があったし表現するということについてはそれなりの持論や見解があります。それらの自分の判断基準に照らし合わせると、今の自分はおかしい…間違っている!という判断に至ったときがありました。一言で言えば、

「全てが良いわけじゃないよな・・・」

という事です。
クリエイター、アーティスト、パフォーマー、プレイヤー、表現者としての推しを尊敬していたし、信頼していたし、ただただ好きだったし。

でも、全てが良いわけじゃないんですよね。

これは良かったけど、これはイマイチなんてことはいくらでもあるわけで、そうじゃなくちゃつまらないっても思うのです。

やがて推しと繋がり(Line等で)を持つようになっていくのですが、創作物については批判などをすることはなかったです。これが良い事なのか悪い事なのかはわかりませんが、少しでも批判めいたことを言うと推しが怒るのでやめたのです。

ただ、例えばラジオ番組など他者が大きくかかわるものに関しては痛烈に批判することもありました。

他にも僕がプロの現場で仕事に関わることがあった分野の事に関してあーだこーだ言いたいことがあったのだけど、推しのそれを作ったプロの人を僕ごときが批判するのもあれだと思ったので控えたことがあります。明らかにおかしなものを推しが使い続けているのを見るのはきついものがありましたが、なんとな~く言いにくかったです。推しが怒るので。

一度は指摘したこともありました。
でも、僕がアドバイスの言葉を続ける前に怒り始めたので、ごめんなさいと言葉を続けるのをあきらめました。

センスに関わることについては人それぞれってのもあったし、自分のセンスにそこまで自信がなかったので指摘するしないの話以前に、自分の意見というものは無いものだと思っていました。ただ、とある事に関して推しはすげ~センスがなかったと思います。

 

さてさて。

僕の話は推しとつながっていた場合であって特殊なので置いといて、信者となってしまうとやはり盲目的になんでも肯定するようになってしまうと思います。

これが良いか悪いかというと、良いと思います。

何と言ってもそれが幸せですし、楽しいです。人生を豊かにします。
ただ、推しを肯定するのにも程がある事例も多々ありますよね、最近は特に。僕が見聞きしたものでいうと、推しが不倫していたことを肯定したり、某ジャニ問題で過去の事なんだから別にいいじゃないみたいなのだったり。物事を冷静に判断しなければならないはずなのに感情が先に立ってしまっているような事です。

基本的に推しに対する態度としては感情が先に立つ方良いに決まってます。

しかし、程度の大小に関わらず何かしらの被害を被っている人がいる場合や法に触れる場合は自分の感情を抑えるべきです。言葉が見つからないのならば、自分の中で答えが出るまではノーコメントで良いのですよ。散々考えても答えがでなかったらそのままで良いのです。感情的な言葉は時には美しくあるし、時には無茶・無鉄砲であったりもするので、冷静さと論理的な考え方が必要になると思います。

例えば音楽について。

推しが作った曲だから、推しがせっかく出してくれた新譜だから間違いない!!

これで良いとは思います。
大好きな推しが提示してくれた作品ですものただただ好き、なんなら聞いてないけど名曲!!ってなるのが人間らしくて良いですよ。

例えばゲームについて。

好きなゲームメーカーが作ったゲームだから面白い、好きなゲームメーカーが出す新作だから神ゲーに違いない!!
好きなゲームプロデューサーが作ってくれた…

これもまた良いとは思いますよ。
こういったものは映画やアニメ、漫画に至るまでいろんなパターンがありますが、推し活という観点においては生活・人生を豊かにしてくれるので良いと思います。楽しいし、幸せです。批判の無い人生ってのは。

でも、音楽もゲームも映画もアニメも漫画も売れなければ続けられないのです。

もちろんまったく続けられないことはないと思います。
ただ規模が小さくなっていったり、推しが思い描く活動ができなくなる可能性は高いです。

僕が推し活をしているときは最終的に活動の規模を小さくした方が推しにとっては良いのではないかって考えていました。その方が推しが作り出す良い作品をより多く体験できると信じていましたので。もしかしたら推しが活動をやめてしまう可能性もありましたが、それでもその方が良いと思っていました。推しは今のまま頑張りたいと考えていたし、僕は頑張っている姿も見ていたかったので、こういった僕の希望は一切口にしませんでしたが。

ファン側が推しの活動に対してあれこれ口出しするのは意味がないです。

推しにはこうして欲しい、推しにはこうなって欲しい、推しにはこんな作品を出して欲しい!!

そういうことを考えるのは当たり前です。でも口にするのは無意味だしマイナスでしかないです。推しには推しの考えがあって活動をしているわけで、推しが自分で考えて進んだ道が好きであるべきなんです、ファンは。

しかし、作品に対する批評は別です。

これはどんどんやるべきです。ただし、批判ではなく、否定でもなく、批評です。

このブログでもレビューをした「FF16」や宮崎監督の「君たちはどう生きるか」についてですが良くも悪くも賛否両論になっていますよね。僕自身もFF16には否定的でしたが、「君たちはどう生きるか」については肯定的です。どちらの作品も僕と真逆の感想があるのです。

賛否両論になった作品は名作…だと思っています。

君たちはどう生きるか」については、まだ(せめて夏休みが終わるまで)情報を少しでも出すべきじゃないと考えているので内容については触れませんでしたが、良い部分悪い部分もあるけど誰もが絶対に見るべき作品と考えています…子供には難し過ぎるのですが。

逆にFF16はあれでも優しめにレビューしていて実際は誰にも薦めたくないくそげーって言いたいな~って気持ちがありますwただ、本当にキャラクターの基本部分が凄く好きだったので(ストーリーが進むにつれてこいつアホかってなったりしてます)、全てがクソではないんですよ。グラフィックも良かったし。

どちらの作品も僕と逆の立場の人たちがたくさん存在していて、それぞれの感想や意見があるんです。これをまさに賛否両論と言うわけですが、熱心に議論がされればされるほど、その作品についての理解が双方進んでいくわけだし、新たに手にする人見る人に興味を持たせることにもつながります。
さすがに宮崎御御大はそういうことはなくてとことん自分の道を進むと思いますが、賛否両論によって議論が進むことによって必要な事、不必要な事、ユーザーが求めている事が明確になっていく可能性があります。

議論というものは次につながる可能性があるのです。

しかしその議論は濁りのないものでなければなりません。

濁る要素としては以下の2つ

  • 嫌がらせ
  • 信者

食べログGoogleレビューなどで飲食店が被害にあうのが嫌がらせです。
自分の好みじゃなかったならまだしも、自分の行動などを棚に上げての気に入らなかったというレビューや、同業他店による嫌がらせなどですね。

これはゲームや映画でもありますよね。
見てもいないのに、プレイもしてないのにただただ嫌いだからという理由で低評価をする。こんなものは何の役にも立ちません。議論を濁らせる要因になるだけです。

そして信者です。

先にも書きましたが盲目的な信者だと実際に体験する以前の

推しなら間違いない

という信者ならではの理論です。
推し活をする上ではこの上ない幸せの条件ですが、議論の場では濁り以外の何物でもないのです。推しが良く言われてるのを見ると無条件に嬉しくなります。しかし逆に推しが批判されているのを見ると内容に関わらずイラっとします。推し活ならこれでいいのだけど、それを議論の場に持ち込まれるとやはり濁りでしかなくなるんです。

「宮崎監督の新作だから絶対に見に行く!!」

ここまではファンや信者ならありえます。スタジオジブリ宮崎駿っていうネームバリューなら特に熱心なファンでなくてもある話です。

でも、

宮崎監督の作品だから多分おもしろいであろう

までなら良いとしても、

宮崎監督の作品だから間違いなくおもしろい!!

は少し違ってきますよね。

今回の「君たちはどう生きるか」は特殊だったので、ここで語るのは少し難しいけど普段のジブリ作品・宮崎作品だったらあり得る話です。

宮崎監督の作品だから多分おもしろいであろう

  ↓

やっぱりおもしろかった!」or「今回はイマイチだった

中間の感想は省いたとして、こんな風になるのが普通です。でも信者の場合は、

宮崎監督の作品だから間違いなくおもしろい!!

ここで終わりなんです。
作品の内容に関わらずここで感想が終わってしまう。これじゃ内容はわからない。でも単なる信者ではなく、愛すべき信者だったら、

宮崎監督の作品だから間違いなくおもしろい!!

  ↓

「あー、どんな作品であっても宮崎監督の作品はおもしろいな~」

となるのかなぁ~ってちょっと思ったりもしますw
もちろん議論の場では意味のないものだけど、こんな感想を持つ人だったら僕は大好きです!

でも、やはり少しは意見を持った方がいいなか~って思います。

音楽、絵画などアーティストと呼ばれる人たちが作る作品だと少し様相が違ってきます。宮崎監督の作品はこちら側に入るし、クリエイターは少なからずこの気質を持たなければならいと考えています。以下に続く話の前置きとして書いておくと。

まずは広義の意味でアーティスト(芸術家)と呼ばれる人たちは自分自身の思想や哲学といった考えなどを作品にしているのでどんな議論があっても無意味です。大前提として。でも、これがどうして良いのか、悪いのかっていうのは考えます。さらにプラスとして他の人たちが好きだろうが嫌いだろうが、これは譲れないし、これはやり続けたいっていうのがあると思います。

例えばミュージシャンがアルバムを発売したとして、実験的な曲を入れたり、普段と違う理論で作った曲が入っていることがあります。

それはアルバムという1枚の物語の中に必要な曲であったり、普段シングルで作れない曲だったり、アーティスト活動の試金石だったり。色々なパターンがありますが、

  • おもしろい!
  • これはこの人には合わない
  • つまらない
  • 自分は好まないけど何か感じる
  • 新しい

etc...

こういった曲の場合、ただただ好きだけではなく色々な反応が見れます。
単なる信者ではなくアーティストの真意を可能な限り読み取れる場合ならここに批評が生まれるのです。しかも有意義な。

アーティストはそれを受けるか受けないかはその人によるけど、これはイマイチだったなと感じるかもしれないし、それでもこれは自分がやりたい創作活動だから続けるってなるかもしれない。

でも、今はCDが売れない時代だしアルバムにしてもアルバムとして買わずに配信で気に入った曲だけを買うなんてパターンもあるので、狭義の意味でアーティスト(ミュージシャン)側もベスト盤みたいなどれでもシングルカットできそうな曲を集めたアルバムばかり出すようになったかなぁ~とは感じますが。

純然たるアーティスト…語弊があるとよろしくないかもだけど、営利目的ではなく創作こそが目的であってお金は二の次三の次みたいな芸術家の場合は作品が売れようが売れなかろうが、評判が良かろうが悪かろうが関係なく作ります。それでも批評というものは創作の中で大きな力となるし、迷っているとき方向性が見えてきたりもします。

僕が学んだ学校では批評家精神を養うことに重きが置かれた教育を受けました。

学生はアーティスト(音楽ではないです)を目指すのですが、それと同時に批評というものも学びます。入学当初は先生たちにけちょんけちょんに言われまくって凹む毎日なのですが次第に意図を汲めるようになり活かせるようになっていきます。やがて他者の作品を言葉にできるようになり批評をしていきます。それは学生同士友人同士にも至り、時には相手を傷つけてしまうし自分も落ち込むことがあるのですが、表現と批評を学ぶにつれてそれらの言葉が栄養になり、表現者としての力をつけていきます。

批判や悪口と違って批評は正しく必要な行為だと思います。

ま、僕も未熟でしかない人間なので単なる悪口になってしまうことが多いわけですがwそれはそれでご容赦を。

 

ちょっとまとまらないまま書き綴ったのであちこちに話がいってしまったり一貫性がないかもしれませんが、それもご容赦を…

で、で、ですよ。

FF16についてってわかってしまうだろうから隠さずにFF16のことだと明言して話をしていきます。

FFことファイナルファンタジーは36年も続くジャパニーズRPGですね。
そしてFF16はそのナンバリングタイトルであり老若男女の幅広いファン層が期待しているタイトルでもありますよね。

それからファン離れが進んでいるのも昨今のFF事情であるのは言うまでもなく、ファン離れを止めて尚且つ新規ファンの開拓を期待されたのがFF16である・・・と、僕は理解しています。

で、あちらこちらでこのFF16に関する論争が起こっていると…いう風に感じました。

特徴的なのはクソゲーと言い切っている人たちは少数派で、否定的な人達も神ゲーではないけど良ゲーどまりや凡ゲーと評しています。逆に肯定派は一部否定的な部分があるも概ね神ゲーみたいな感じに評しているでしょうか。

一部の評価に値しないレビューを除いたとして、これって概ね高評価なんじゃないのかな

と感じます。
本当にクソつまらないゲームだったらノーコメントでスルーしますよ僕だったら。極上のクソゲーならクソゲーっていじり続けますしw

僕が感じたFF16はもったいない、惜しい、なんか悔しい…そこそこ楽しめる普通のゲームって感じでした。もう少しなんとかすれば歴代のFFナンバリングタイトルに引けを取らない神ゲーになっていたと思います。

でも、凡ゲーですよねw

肯定的なレビューをしてる人たちの全てではなく1部にいわゆる信者だよな~この人って感じる人がいました。

ここまで散々書いてきたように信者は悪くないです。人生を豊かにするシステムの1つです。しかし評論の場においては議論を濁す要因でしかありません。

僕も悪口みたいにFF16を評してしまっているので、それについてはここで謝罪します。申し訳ありませんでした。

悪口(誹謗中傷)と信者は濁りを作ります。

スクエニが作った作品だから!
吉田さんが作ったから!
第三開発が作った作品だから!
FFのナンバリングだから!!

面白い!

これらが濁りの正体ですね。そして、

スクエニのスタッフさん、開発さんたちが頑張ってるのに否定するなー」

みたいなやつでしょうか。

ゲームクリエイターの全てがそうじゃないかもしれませんが、皆さんクリエイターです、アーティストです。プライドをもって作っています。批評家魂ももっていると信じていますよ、僕は。

これが俺たちのFFだ!!どやっ!

って世に送り出したのがFF16です。そのはずです。

それがつまらなかったら?

みんながみんなではないですが一定数のユーザーはFF16をつまらないと評しました。これが現状です。僕はわりと年齢が年齢なので賛否のどちらも冷静に見ています。どちらも正しく、どちらにも一理あると思います。でも、確実に理論的に正しいFF16はつまらないという評価がありますよね。

この批評を受け取れないようなスタッフが今後良い作品を作ることができますか?

僕はそんな風に感じます。
ゲーム作りお疲れ様でした!までは良いでしょう。でも、面白かったかつまらなかったかはしっかりと言葉にしても良いと思いますよ。ゲームクリエイターへの人格否定はあってはならないことです、ゲーム会社への単なる悪口はゴミです。

でも、ゲームクリエイターがどんな風にゲーム開発に取り組んだかについて、FF16をプレイすることで感じたりインタビューを読んで感じたことについて苦言を呈すことは悪い事じゃないですよ。

FFっていう偉大な大作を、しかも落ち目からの復活をかけて開発を担うことはどんだけ大変なことか想像を絶します。

FF16を作り上げたことに関しては拍手を送りたいです。

その上で批評をしっかりとしていくべきではないでしょうか。

批評行為を誹謗中傷であるとしたり、自分が面白かったからといって低評価をしているレビューを否定したりっていうのは違うはずです。低評価していることに反論したいのなら、同じ個所についての高評価を論じればいいのです。

広義のアーティストは自分の道を貫きます。
その中で評価されるか、誰にも相手にされないかはわかりませんが自分の作品を作り続けるでしょう。
しかし、ゲームは作品であると同時に誰かを楽しませる、誰かが楽しんで完成されるものなのです。誰も理解できない誰も楽しくないゲームはゲームじゃないですよね。

FFのクリエイター達はアーティスト的側面と誰かを楽しませるものを作るエンタメ要素をしっかりともった、いわばハイブリットアーティスト、ハイブリットクリエイターなんだと思います。

批評を受け取り長所を伸ばす、短所を改める。

これらができずして次のFFナンバリングはないですよ。

クリエイター達が真剣に作ったものを遊ぶわけですから、受け取るこちら側だって真剣に遊びますよ。真剣に遊んだからこそ否定的な部分も出てくるんじゃないでしょうか。それを信者的に盲目的にプレイする前から面白いと決めつけることこそ失礼に値するのではないでしょうか。

どうして否定的な意見があったのか、面白いと思った人も知ってみるといいのかもですね。

もちろん否定的な意見を見ないようにするっていうのも良い防御作です。
でも見ないで文句をいうのは卑怯というものです。相対する意見が嫌で見ないのならば沈黙すべきと思います。

SNSYouTubeのコメント、色々と言葉を発することができる場所が増えてますが言葉を発する前に1つ深呼吸をして冷静になるべきです。自分が好きな人が正しいっていう気持ちは尊いものです。でも、自分の好きな人が間違っているときに間違っていると言えることだって尊いはずです。

僕は今回のFFナンバリングをプレイして、散々に文句を言いまくりましたが次回作に期待しましたよ。15の時は正直、そんな気持ちにもなれずにほとんどプレイせずに見放したうえでいっさいFF15に関しては言葉を発しませんでした。これで終わりかな~っても思いましたし。
次のナンバリング、FF17を失敗したらFFは終わるかもしれません。もしかしたら今回で終わりなのかもしれませんが、次回作があると期待するからこそこれじゃダメだって言いたいんですよね。

 

僕の長年の推し活、もしかしたら嫌われたかもしれないし、怒られ続けたかもしれないけど、それでもあれほど好きだったのなら言うべきことはしっかりと言うべきだったのかな~っても感じてます。作品群に関しては感じたままにレビューしてね。

でもよい時代になりました。
色んな人の色んな意見を目にすることができるのですから。

孤独死待ったなし!

なんとも不吉なタイトルですが自分自身のことです。

今回は思いつきで書き始めているので章立てもなしでダラダラと僕の現状と未来を書いていこうかと思います。

僕は両親を看取りました。

看取ったと言っても両親共に入院中に死去しているので正確には病院のスタッフさんが看取ってくれたと言えると思います。母の時はそろそろって時に家で待機していた家族を呼んだのですが、足の不自由な父を病院の下まで迎えに行って戻ったときにはもう時間がなく、なんとか父を母の枕元に導いて息を引き取るまでの数分を一緒にすることができましたが、僕を含めた兄弟は枕元にたどり着くことはできませんでした。病室が狭かったというのもあったのですが。

父の時は病院から夜中に連絡がありすぐに向かったのですがすでに息を引き取っていました。

僕は一人暮らしをしていたのですが、父の介護をするために実家に戻ったのです。もう20年前の話になります。

父の介護を母と一緒にしていたのですが、母が先に癌になり父より先に他界しました。そして母の他界から数年後に父が他界した感じです。実家に戻った当初はいずれ一人で生活をしていた関東の某所に戻れると思っていましたが、そう簡単にはいかないものですね。まさかあんなに元気だった母が先に他界するとは思ってもいませんでした。

父の介護が終われば、母は一人でも生きていけただろうし、いずれ兄が家に戻ってきただろうし、末っ子の僕は自由になれると思っていたのですが・・・

時の流れは残酷なもので僕も歳をとってしまったんですよ。

結婚をするのにも、まして子孫を残すのも難しい年齢になってしまいました。

ま、僕の身バレなんてものはどうでもいい話だし、ここであれこれ書いてもバレないと思うので書きますが、僕には2人の兄がいます。長男は地元で就職して県内を転々とはしていましたが実家のある所に戻ってきて、今後出ていくこともなさそうです。そして未婚です。縁に恵まれなかったのか、そもそも兄が望んでいなかったのかはわかりませんが長男は結婚しませんでした。
もう1人の兄は同じ県内には住んでいるものの、実家からは離れた所で就職し結婚もして、家を建てました。子供も1人います。

現在実家では僕と長男の2人暮らしになったというわけです。

同居している長男は3年前に死にかけています。突発性の大きな病気を患って。心臓とか脳とかその辺の大きな奴です。なんとか病気を克服したのですが、昨年、また病気にかかり少し足が不自由になりました。
そんなこんなで現在は両親の介護から解放された僕は兄の面倒をみている状態です。

僕と長男は少し年が離れているし、何かと病気がちな兄でもあるのでほぼほぼ僕が1人残ることになるでしょう。

とりあえず金銭的な問題は置いといたとして。

問題が多々あります。

  1. 孤独死問題
  2. お墓問題
  3. 相続問題

ざっとあげるとこの3つですね。
多くの人が抱える問題だと思います。

まずは孤独死問題です。

長男が他界したら当然ながら僕は1人暮らしとなります。
財産があるわけじゃないどころか生活もギリギリなので施設に入るのは介護認定4級以上を受けて特養に運よく入れた場合のみでしょうね。なので家で死んでいく可能性がかなり高いわけです。

僕の遠い親戚にやはり孤独死をしてしまった人がいます。その人は病死か自然死だったのだけど死後数か月後に発見されたので後始末が大変だったようです。当然、その家は解体されました。
僕は真面目に一生懸命生きてきたわけじゃないし、誰かや世界の何かに貢献したわけでもないのでそんなのは贅沢なのかもしれませんが、お葬式などは無しでもいいからせめて綺麗に穏やかに死にたいと思っています。それも無理ならば可能な限り誰にも迷惑をかけずに死にたいのです。

でも現状では孤独死して多くの方に迷惑をかける可能性が高いです。

次にお墓問題です。
我が家のお墓は数年前に母が他界したときに作りました。運よく家から近くて管理費などの負担もほとんどないです。

しかしこのお墓には、あとは兄と僕が入るのみなんですね。

次男の子供が管理してくれるかもしれませんが、お墓から遠いし、まだ小学生なので将来どんな風にどこで生活をするようになるかはわかりません。自分の両親が眠るお墓ならばいざ知らず、祖父母と伯父・叔父が眠るお墓を管理する負担をさせるわけにはいかないと考えます。

となると僕か兄のどちらかが他界したタイミングでお墓は解体して永大供養か何かのお世話になるのがベターなのでしょうけど、これまたなかなかに躊躇してしまいそうな案件です。僕が残ったならば、兄を数年の間、両親と同じお墓に入れた後に永大供養と考えるかもしれませんが、優しい兄は躊躇してしまうかもしれないと考えるんですよ。僕をずっと両親と一緒のお墓にいれておきたいと。

そうなるとお墓問題はどちらかが死ぬ前にしっかりと方針を決めておく必要があるわけです。

で、3つ目は相続。
これはそこまで問題ではないです。我が家には財産というものがないからw
それでも家と土地ってのは残ってしまいます。これは孤独死問題ともつながるのですが、できるだけ残された親戚に迷惑をかけずに処分する方法を模索した方がよさそうです。

我が家が建っている土地は親父が買ったわけですが、親父が買った時よりいくらか便利になっているので価格は上がっていると思われます。しかし、そんなに立派な価格ではないのですよ。
ただ家は僕が天寿をまっとうするような年齢で死んだとしても住んでられるくらいには新しいし丈夫な家です。もちろんどんな自然災害が起こるかわかりませんが。

住む人間がいなくなって、家を取り壊すという負担をかけずにすむにはどうすればいいかは考えなくちゃならないんですよね~

 

ま、当たり前にある問題ばかりではあるのですが。

なんとなくですが不安になるときがあるし、早めに方針を打ち出しておかねばなるまいとも思うわけです。

もう取り返しのつかないことですが、普通に働いて、普通に結婚して、普通に子孫を残しておけばそこまで考えなくてもいい不安なんだよな・・・ってわけですね。僕にとってはその普通がとてつもなく難しかったわけですが。

見てきました、「君たちはどう生きるか」(※ネタバレ一切ありません)

というかネタバレしようがないというかw

本日公開の宮崎駿監督の最新作「君たちはどう生きるか」をさっそく見てきました!
見に行くかどうか少し迷っていたのですが、やはり見たい欲が強くなり一昨日チケットを取ってしまいました。

公開されている情報以外は本当にネタバレがないので未見の方も安心して読んでいただけますので、読んでいただけると嬉しいです。

1.初日に見に行かなければならない理由

これ、多くの宮崎ファン、映画ファンがそうであると思うのですが、ネタバレ以前にとにかく新鮮な気持ちで早く見たいってのがあったのではないでしょうか。

僕はネタバレオッケー派です。
昔はネタバレダメだったのですが、SNSYouTube、ネットニュースなどでどうしてもついつい目に入ってしまうことが多いのである時から諦めましたwそしたら意外とネタバレしてても楽しめたのですよ。

ただ、例えばスラムダンクの時なんかは、普段見ているレビュー動画やレビュー記事がこぞって取り上げたので、それらが楽しめないっていう理由で慌てて見に行きました。

ネタバレ平気と言えども嫌な時もあるので防衛策をとる場合もあるわけです。

ですが今回の場合はこれまでのネタバレと質があまりにも違います。

  • 君たちはどう生きるか」というタイトル
  • 目が4つある鳥さんのイラスト
  • 主題歌を米津玄師さんが担当(公開初日の本日発表されました)

以上の3つです。
他にもう1つあの人が声優をやっているという話があったのですが、どこがソースなのか確認できないので情報としては差し控えます。

君たちはどう生きるか」っていう本は少し前に漫画家され話題になりました。しかしこの本をそのままアニメ映画にするというわけではないということでした。なので、タイトル名、1枚のイラスト、米津玄師さんの曲しか情報として公表されておらず、どんな映画なのか1つもわからないという状況のまま公開初日を迎えたのです。米津玄師さんの曲だって公開初日の今日発表されたわけですしね。

そんな異質な状況なわけで、これはネタバレ云々ではなく、映画そのものをとことん新鮮な前情報なしのまま見なければ絶対に後悔する!!!って思ったわけです。

スラムダンクの時と同じく、普段見てるYouTubeチャンネルなどでレビューが盛んに行われることが予想出来て、それらチャンネルの動画を見れなくなるのと、おススメ動画のサムネであっさりとネタバレされてしまうのが怖かったっていうのもありますね。

とにかく新鮮に、何も知らない状態で見たかったというわけですよ、何度も言いますが。この映画の映画体験としてそれがベストと思ったわけです。

2.他のお客さんの反応

本当のベストとしては地元映画館の初回を見ることでした。
しかし、朝1は無理だったし、午前中は家族を病院に連れて行かねばならなかったのですよ。できるだけTwitterYouTubeを見ないようにしてはいたのですが、米津玄師さんが主題歌を担当しているというニュースは目に入ってしまいましたw

で、少し不安だったのが僕が予約した時間帯の前の時間帯を見た人達です。

劇場から出てきて、一緒に見た友人や家族、恋人などと映画の内容についてあれこれ話すわけですが、そんな話声が耳に入ってしまってネタバレくらうのではないかってことです。

ま、ま、あまり映画館内で大きな声で映画の内容を即座に話す人もなかなかいないわけですが、さすがに今回はそんなしょうもないことでも不安になってしまっていたわけですね。

そんな不安はともかくとして、前の時間帯の人たちが出てきたの見ていてびっくりしたことがありました。

みんながみんなというわけではないのですが、ほとんどの人がぽかーんとしているというか唖然としているというかなんというか。ま、見終わった後の自分もそんな感じだったので後々納得するわけですがw

3.パンフレットどこ?

まだ開場まで時間があったので売店でグッズなどを見ていました。
グッズはクリアファイルやポスター、ポストカードなど定番のものが少しありました。でも驚いたことに全てあの公開されてる4つ目の鳥さんのイラストのものだけだったのです。映画に出てくる他のもの一切見ることができないんです。背景すらも。

僕はそんなに簡単に物事を理解できる方じゃないのですが、今回は宮崎駿の新作ってのもあってなんとか理解を深めたいと感じていました。なのでパンフレットは必須でした。

ずらっと並んでいるパンフレットの中から探すのですがなかなか見つからない。

もしかして売り切れ??

って思ったのですが、店員さんに聞く前にもう1度探してみました。
そしたら張り紙があって、

「・・・パンフレットは公開後に通販・各映画館で販売になります。販売開始の情報はTwitterを・・・」

なんと公開初日にパンフレットが売り出されてないのですよw
ここまでくると情報統制というかなんというか、なかなかに凄いものがあるな~って思いました。本当に何も情報無しに見に来れてよかったって思った瞬間でもありました。

4.もっと見たいぞ宮崎作品!

で、映画の感想なんですが・・・

これ、いまだに処理できていませんw
全然、頭と気持ちと理論と知識と感情から何から全てがしっちゃかめっちゃかというかなんというかw

僕のこのブログも含めてこれから少なくとも1ヵ月以上、各SNSYouTubeでレビューや感想を目にすると思います。サムネで目に入ってしまうかもしれません(すでにそんなサムネを目にしています)。僕の主観的な感想からすると、

「両極どちらかに振り切った感想はちょっと違う。迷っているのは正義かも」

ってところです。
僕的にはとりあえず、次の日曜日の岡田斗司夫さんのファーストレビューを聞いて、普段見てる映画レビューチャンネルの動画を見て、自分でもあれこれ調べながら処理しつつ理解を深めて、あらためて感想を持とうって思いました。余裕があればもう一度見てみるかもですね。

現時点で間違いなく言えるのは、見に行って良かった、見て良かった、見ることができて良かった・・・ですかね。

年齢的にも今作が最後なのかな~なんて思ってしまったりもするのですが、宮崎駿さんの作品はまだまだ見たいなって思いました。

 

クライヴ、ジル、シド達に謝れ!!!(FF16レビュー)※ネタバレ有り

先日ようやくクリアしました、FF16

クリアするまでは意見できないのでクリアしましたよ。
タイトルは強めにしましたが、そこまで強く批判してるわけではないので安心して読んでくださいw
ネタバレについてはこの記事では少な目にするのと、もしかしたら後日がっつりネタバレで書くかもしれないのでストーリーを概ね把握されていらっしゃる場合は問題なく読めると思いますが、あくまでもネタバレ注意ということでよろしくお願いします。

1.何度か書き直しています…

どんな風に書けばいいのか散々に迷いました。
事実この1週間書き直したり、更新をあきらめようとしたりしています。結論から書きますと、FF16は良ゲーではないです。良ゲーに一歩届かない豪華なゲームって感じでしょうか。がっかりまではいかないのですよ。理由はこの記事で書いていきますが、積みゲーにはせずに最後までやろう、やりたいって思わせるゲームだったし、もしかしたら歯車がうまく噛み合ったらというか、パーツがうまく組み合わさってさらにいくつかの余計なパーツの代わりに必要なパーツが揃っていれば神ゲーまではいかなくても良ゲーとなり、FFの復権の兆しが見えたのかもしれませんね。

事実としてはガッカリだったのです。

そのくせキャラクター達には愛着がわいていったり、好きになったりしていくのでこのゲームを否定するのが申し訳なくなっていって、タイトルの

「クライヴ達に謝れ!」

ってなったわけですよ。
実際には物語が面白くない(全てではない)わけで、キャラが完全にたっているわけでもないのですが、僕的には愛すべき存在となっていったのです。どんどん影が薄くなっていくヒロイン的立場のジルさん大好きですしね。

とりあえずゲームの良かった所と悪かった所をざっと箇条書きにしたいと思います。そのあとでゲームの感想的に良かった点悪かった点(特に悪かった点を中心に)をつらつらと書いていこうと思います。

2.良い所悪い所

点数評価だと50点~55点くらいかな~って思います。FF16は。
僕の採点は60を超えたらやってよかった良ゲー、80を超えたら神ゲーまでもう少しのおススメゲーム。90を超えたら神ゲーって感じです。ちなみにゼルダの伝説TOTK(ティアキン)は98点です。

【良かった点】

  • グラフィック
  • 一部のムービー
  • おおまかなストーリー(ストーリーのベース)
  • キャラデザの一部
  • キャラクターの性格や設定など
  • トルガル
  • ハルポクラテス、ヴィヴィアンの存在
  • バハムートがメカメカしくない

【悪かった点】

  • 深いようで深くないストーリー
  • ジェットコースター過ぎて肉付けの不十分感
  • 単発で終わるサブクエス
  • ワンパターンな進行
  • 見た目と数値だけの武器・防具
  • エフェクトが素晴らしすぎて見えない戦闘
  • 暗すぎるフィールド
  • 探索する楽しみがない
  • 無意味な性表現
  • 夢も希望もない雰囲気

悪い部分はまだまだあります。
なんなら書ききれないくらいあるかもしれません。とりあえずという感じで箇条書きにしてみました。良い点については温情も含めてって感じです。

3.RPG的な要素と面白味が皆無かもしれない

多分、ほぼ皆無ですw
まず探索の楽しさはゼロでした。マップは広くも狭くもなく微妙にウザい広さって感じです。他の方のレビューでもありましたが移動が遅いのです。チョコボダッシュすれば丁度よいのですが、歩きはちょいと遅いですね。ダッシュも任意でできればいいのですが、しばらく前回でスティックを倒しているとダッシュモードに勝手に入る感じです。これが絶妙の鬱陶しいです。

フィールドに落ちてるアイテムはキラキラだけだし、宝箱は見にくいし地味だし中身もゲットできてテンションがあがるものは皆無ですね。わざわざ寄り道して拾わなくてもいいかな~って城やダンジョン的なものの中で思ってしまうのですが、これまたわざわざ寄り道するような場所もないので、ちょっとわきにそれる、ちょっと進行方向の逆に行く程度で宝箱がとれてしまうので、無視することも、宝箱を探す・取る楽しみもないのです。

他にもリスキーモブの場所がわかりやすいなど色々ありますが、とにかく探索する楽しさはなかったです。

次に武器を新調しても、レベルが上がっても見違える程強くなるってことがないのです。

雑魚敵も微妙に硬いのですが、いつまでもいつまでも硬いまんまなんすよ。武器を変えてもレベルが上がっても。

さすがにいつまでもってわけじゃなくて、レベル30くらいになってからレベル19くらいの敵がいるフィールドに行ったときは自分が強くなっていることを実感しました。もちろん今回のFFはアクションRPGであり、アクションを楽しんでと言われてるので、アクションの技術…例えば攻撃回避とかコンボとかの熟達によって強くなったと実感することが本来のレベルアップなのかもしれませんので、レベルアップや武器のパワーアップについてはオマケ要素なのかもしれませんね。

でも、でもですよ。

エストでレシピをゲットして作ったエクスカリバーですら雑魚武器ですし、ラグナロクに至ってはゲットしてすぐに、

「素材さえ揃えばもっと強いの作れるぜ!」

的なことを言われるし、なんならラグナロクより強い武器(なぜかディフェンダーw)がババアの店で普通に変えちゃうんですよね。
属性がないってのも今回のFFの特徴の1つだからしょうがないのだけど、フレイムタン、アイスブランドは見た目がそれっぽいってだけで全然炎も氷も関係ないんですよ。それはそれで寂しいわけです。

唯一武器ですげーって思ったのは、武器のディテールだったりテクスチャですね。鈍く光るような表現などリアルで僕は好きでした。あと無駄に馬鹿でかい大剣ではなく、ロングソードが主人公の武器っていう設定も好きでした。

他に褒められるようなとこはなかったかな。

探索、成長、アイテムによる強化といった従来のRPG的な楽しみを期待してはいけないゲームとなっています。他の装備物、例えばアクセサリーはいろいろな効果があるのですが、それはRPG的要素としてではなくアクションゲームとしての要素なので、例え良い面であったとしてもここで語ることではないので省いています。

新たな召喚獣の能力をゲットして、新たなアビリティをゲットする使える楽しみはありますが、キャラを育てる楽しみがないのは全然楽しくないです。ドラクエだっててつのつるぎからはがねのつるぎに買い替えただけでもその変化がうれしかったりするわけで、そういう楽しみがないのはがっかりでした。こう感じるのはアクションが苦手な老害だからなのかな~。

4.ワンパターンなゲーム進行

これはやった人なら感じることだと思います。
RPGなんてそんなものかもしれないです。例えばゼルダのBOTWはシーカータワーを解放し四聖獣を解放して行く、で、新作のTOTKの場合は眺望台を解放し四聖獣がいた4地方での異変を解決していく・・・みたいな。ドラクエ3ならオーブを集めてうんぬんかんぬんとかね。

FF16のワンパターンはそれだけじゃないんです。

ダンジョン的なものや城などのクリスタルを壊しにとか、敵をぶちのめしに乗り込むわけですが、

雑魚敵たくさん

雑魚敵たくさんにまじって小ボス

雑魚敵たくさん

中ボス

ボス

召喚獣バトルがあったりなかったり

ほぼほぼこのパターンなんですよ。
しかもダンジョンで迷うことはないんです。アクションバトルをするための円形のフィールドがつながってるだけの迷うこと一切なしの作りになってます。
迷うとしたら開かないダミーのドアがたくさんあるくらいの話で、単に鬱陶しいだけです。そのダンジョン的なところでポーション類をいかに最後まで残すかっていうのがスリリングではあるのですが、ポーションを使い切った状態でボス戦になっても負けてゲームオーバーになればポーションとハイポーションが満タンで支給される新設設計になってるので大丈夫です。

ストーリー進行も全てがワンパターンってわけではないのですが、各地域の協力者の信頼を得るところから始まって・・・っていう意味ではワンパターンですね。一方通行のエスカレーターに乗せられた感じで進行していくゲームなのでちょっと飽きてしまいます。

ストーリーについては次に書いていきますが、ストーリー展開もワンパターンというかびっくりするような展開はありませんね。

5.肝心な部分なのに結果的にうす~くなってるストーリー展開

ストーリーは面白いと思います。
ただ面白いのは骨格部分というかベース部分というか。

この1週間色々な方のレビューを拝見しましたが、無駄に長いっていう意見を目にしました。

もしかしたらそのレビュアーの方は単に長いのが嫌いなだけだったかもしれませんが、僕的には無駄に長いの「無駄」の部分が大きいと感じています。面白くて深みのあるストーリー、飽きないストーリーならば長ければ長い方が良いと僕は感じるんです。ゲームなんですよ、映画やドラマ、アニメとは違うんです。

こんなにうすっぺらいのに長い・・・つまりは無駄に長いのです。

FF16の少年期をドラクエ5のそれと比較するレビューを多々見ました。IGNさんの動画が一番わかりやすいかもですね。

ドラクエ5で親父(パパス)が死んだときにショックを受けるのは一緒に戦闘して、親父の強さを実感してるからだし、ボロンゴ、ビアンカと再会したときに感動するのは幼い時に一緒に冒険した記憶があるから!

なんだよね。

子供の頃のジルはかわいいです。トルガルもすっげーかわいいです。
でも、ジルとクライヴの仲ってのがイマイチ伝わらないし、ジルの立場や苦悩みたいないのもわからない。トルガルだってその辺で拾ってきたかわいくて度胸のある狼程度の情報しかないんです。クライヴの親父にしたって、子供思いで偉大な王であることはわかるけど強さに関してはさっぱり。あっさりと殺されるしね。

少年期の物語にもう少しボリュームがあれば・・・

キャラへの愛着は全然違ったものになるし、再会などの感動も大きくなるのです。
本来はしっかりと物語構成を考えて語るべき部分を語らずに、終盤に発生するクエストでジルやトルガルだけじゃなく、主要人物達の物語がたくさん語られるのでそれでいいじゃないかっていう手抜きを感じちゃうんだよねー。散々な言い方だけど。

そうなんですよ、終盤にまとめてクエストが大量発生するんですw

エストをしっかりとクリアしてから物語本編をクリアしないと全然なのです。さっぱりなのです。せっかく興味深くも愛すべきキャラクター達を創り出したというのに、彼らの物語がさっぱり語られずに物語が終わってしまうんですよ。

本編物語の肉付けを放棄してクエストに頼るのならば、クエストを発生させるタイミングというものがあるし、単発で終わらせずにクエストが続編で続いていくものが多々あればよかったと感じます。

例えば鍛冶師ブラックソーン関連のクエストは最後に全てがつながっていて全てが必要だったということがわかるのですが、彼の鍛冶師という立場と最強武器を制作するという性格上あの方式がよかったと思うんです。
単発のクエストが積み重なって、実はつながっていた的な感じでしょうか。

しかし、ジルやトルガルなど主要キャラ達の物語をクエストという形で消化していくのなら、序盤からクエストを発生させ、その物語が続いていくということを明確に匂わせながら長期間継続させた方がいいよな~って思ったのです。
エストがしょうもないものばかり、お使いクエストばかり、報酬もしょうもないものばかりでめんどくさいだけのクエストなんてやってらんない・・・なんてことにはならなかったんじゃないかな。

本来なら本編で語っていくべきと僕は考えるけど、クエストで本編の肉付けしていくのも面白いし有りのはず。そしてクエストをこなしていかないと物語の全容が見えてこないとなればクエストが楽しみになっていったのかな~っても思うのです。
それがFF16の場合はクエストがつまらない・・・となってしまっているんですよね。最後の最後に大量のクエストを発生させて、それぞれの物語を完結させていくというのも悪手になっていると感じました。
ラスボスとの対決目前の緊迫した場面でこんなにあちこちに行ってあれこれやる余裕があるのか?っていうのは置いといたとしても、ストーリーの内容は違えど似たようなクエスト進行で語られてしまうので、どれもこれも似通ったものになってしまっているのがとても残念です。それぞれの物語は面白いのに、どこか淡々とこなす感じになってしまうんですよね。クエストを全てクリアしてからラスボスとの対戦に向かった僕なのですが、あー、まだあったかめんどくせーってなりました。

「FF16はクエストを全てやれ!」

的なサムネをYouTubeで見かけますが、ほんとその通りです。
エストをやってようやく見えてくる人間関係があります。トルガルがクライヴと離れてから何をしていたかなんてすげー泣けますよ。

ただ残念なことにクエストがつまらない、めんどうくさいだけのものになってるんですよね。

どんな風にすれば物語に厚みがでるのか、面白くなるのかっていうのは難しいことです。人それぞれにどんな物語が好きかっていうのも違うので。なので主観でしかないわけです。

しかしながら思うのは、

「FFは勇気と希望の物語」

だよなってことです。
ドラクエもそうですが暗い話が多いです。FF16はダークファンタジーということが発売前からうたわれていて、体験版をプレイしてクライヴの復讐の物語だっていうことも確定するわけです。

人が差別され、無残に死んでいく世界です。

クライヴの復讐だけではなく世界を救う物語にシフトチェンジしていくのですが、なんかずっと暗いんですよ。希望は見え隠れするし、クライヴほど無謀にも強敵に挑んでいく勇敢な主人公もなかなかいないわけです。

でも暗い、ずっと暗いのです。

この暗さの正体は物語の内容・構成だけではなく、常に陰鬱としたクライヴの表情にも大きな責任があるように感じます。
これまたクエスト関連の話ですが、黒の一帯での可能性を模索していく中で植物園では明るい未来が見えてきます。これは希望ですよ。でも、めんどくさいクエストなのでやらない人も多いだろうし、なんかクライヴは暗いし・・・となるわけです。唯一、子供達とのクエストで子供達に物を教えるときのクライヴが良い笑顔とボケを見せてくれます(後々ボケじゃなかったとわかるのですが)。このくらいですよ、ほっとする瞬間は。

youtu.be

少し動画をお借りします。
例えばFF5のメインテーマ、この曲を聞いただけで広大な世界や、わくわくする冒険、立ち上がる勇気みたいなのが連想されます。

これまでのFFってどん底からも立ち上がってきたんですよ。

FF16はダークファンタジーなのだからしょうがないのかもしれませんが、広がっていく世界にわくわくしないんです、物語にドキドキわくわくしないんです。立ち上がるのは死地へ赴くためだけにしか感じないんです。

一瞬、これぞFF!!的に物語の盛り上がりを感じた瞬間がありました。

しかしそれは本当に一瞬の出来事であり、あっという間に陰鬱な世界に逆戻りしちゃうんですよね。

これは次章に続きますが、ジルとの物語だって心が温まるようなものだけど、どこか悲しいだけに感じてしまったり、余計な描写があったり、やはりクエストでしか語られなかったりするんですよね。

FFでは、やはり勇気と希望の物語が見たいって思うんですよね。

とことんきついだけの世界観ながらも読者を引き付けるダークファンタジーの最高峰「ベルセルク」がありますが、FFに求めるのはそこじゃないです。漫画で例えるならきつい世界観と境遇、戦いの中にいながらも明るさと面白さに大きくふっている「呪術廻戦」がよいです。明るさの中に残虐性を見せ主要キャラを死なせまくる「チェンソーマン」でもないです。

ドラクエだって暗い話ですよ。でも陰鬱じゃないでしょ?

6.無駄な性表現

ジルとの重要な対話シーンですよ。あれ、裸である必要ありますか?

ストーリーの進行上体を温めなければならないのでしょうけど、あまりにも無意味ですよ、あれ。

ドラクエぱふぱふ、あぶないみずぎ、「さくやはおたのしみでしたね」

スクエアなら「ヨヨ様の部屋から苦しそうな声が聞こえるよ」

などなど、性表現はありました!過去にも!!
でも、どれもかわいらしいものです。

でもFF16は違うよね。

エログロ表現は常に賛否があります。物語の重厚さを増すために!!とか言う人もいますが、これに関してはしょうもない味付けとしか言いようがないです。なんなら映画でもありますよ、こういうの。

例えば沢尻エリカさん主演の「ヘルタースケルター」です。

沢尻さんのとても綺麗なヌードはセンセーショナルだったし、男女問わず多くの人の興味を引き付けました。でも、実際にあれが必要だったかというと、たぶん不要ですよね。物語の内容に関わるSEXシーンなのかもしれませんが、フルヌードで全てをさらけ出す必要はないのです。

映画界はどうしてもこれをやりがちだな~って感じます。

ヌードがなくては成立しない、ヌードがあった方が良い、ヌードがなくてもいいけど入れとくか!

的な段階があると思いますが、特に邦画の場合はヌードがなくてもいいけど入れとくか!みたいなのが多いって感じます。

FF16はまさにこれにあたるように感じました。
これまでと違って大人なストーリー…なのかもしれませんが、それは完全にずれています。他のゲームならいざ知らず、伝統あるFFのナンバリングタイトルなんです、腐っても。

ジルとクライヴのシーンだけではなく多々ありました。
心理学的な話だと性というのは人間のことを深く考えるときに欠かせない要素という一面があります。エディプスコンプレックス、エレクトラコンプレックスなどなど用語を見ていっただけでもそうですよね。
人の成長を見たときはもちろん、どうしてそのような変化を見せたか、どうしてそのような考えに至ったか…みたいなことを考える上でも大事な要素です。フーゴ・クプカは女のための復讐で私兵を動かしてしまうくらいなわけですから。

でも、いらないです、性表現。

ジルとクライヴのシーン、クエストのものも含めるとFF10のユウナとティーダを思い出します。

「世界一ピュアなキス」

ちょっと照れてしまうキャッチコピーですが、あれで良いんですよ。
あのくらい外連味があって、あざとくて、見てるこっちが恥ずかしくなるくらいでいいんですよ。

もしかして少し毛深い?ちょっと汚い?って感じのクライヴの肌に対して、透き通るように綺麗なジルの肌をやり過ぎじゃない程度に表現したかったのかもしれませんが、無駄です。
少し控え目なくらいがリアリティがあって美しいのかもしれませんが、花が舞い散る表現についてもFF8のエンディングのシーンくらい派手でいいし、FF10のキスシーンくらい幻想的でよいのです。

裸である必要ゼロです!!

絶望的な旅を進めるユウナ一行の中にずっと前向きなティーダの存在…とても大きかったと思います。FF10-2.5とかその辺の話は置いといて。

陰鬱なクライヴのケツなんて見たいわけがないのですよ。

7.もっとゲーム的おもしろさを!

アクションはおもしろい・・・
この評価が大きかったように思います。

実際おもしろいのかもしれません。しかし、回避の時のぴょんぴょんジャンプはちょっと鬱陶しかったし、敵の攻撃が縄跳び的に向かってきてそれをぴょんと飛び越えるあれも、ワンパターンでイマイチでした。
コンボを組み立てるおもしろさがあるのかもですが、そもそも戦闘したくなくなる方向に気持ちが向かってしまいます。

クリア後には強くてニューゲームファイナルファンタジーモードというのをプレイできますが、新たに追加される要素はほんのちょっとだけ。敵が強くなり難易度が上がる、最初から召喚獣の能力を全て持った状態でアクションを楽しめる・・・そうなんだけど、あの長い長いムービーなどのカットシーンを再び見る人っているのかな?長い長いタイタン戦をまたやりたくなるのかな?などなど疑問が多々あります。

2週目が本番みたいな発言もあったそうだけど、渾身の出来のムービーをカットされてでもアクションゲームを楽しんでほしいのかどうか疑問ですよ。

だったら最初から物語はオマケ程度のアクションゲームを作ればよかったんじゃないの?って思いました。

武器を作る集める楽しさが皆無、探索の楽しさが皆無・・・それでアクションを楽しんで2週目が本番ってアホかって思います。

僕はFF16の中でハルポクラテスとヴィヴィアンの存在がとてもよかったと感じています。

FF16の世界観を補足しつつ広めてくれるハルポクラテス、現在の状況をわかりやすく説明しつつ、その先の戦略をわかりやすく解説してくれるヴィヴィアン。

アクティブタイムロアと並んでFF16の評価すべき部分だと思っています。アクティブタイムロアにも大きくかかわってくる要素の2人だしね。

でもでも、ここにこそもっとゲーム的おもしろさを増すチャンスがあったんじゃないかって思うのですよ。

FF16はただただ世界で起こっていることを追いかけ物語を終わらせることが目的なわけですが、あまりにもその世界にプレイヤーが関わることが拒否されてるイメージです。

ハルポクラテスは歴史と現代史の語り部なわけですが、大百科完成のためのクエストみたいなものができなかったのかな~なんて思います。ハルポクラテス関連のクエストはありますが、大百科を完成させるためのものではないんですよ。

ヴィヴィアンが地図を広げて現状を解説して、今後の方針を定めてくれるのかっこいいし、おもしろいです。でも、なんであれをゲーム性を深めるものに利用しなかったのかな~って思います。具体的にどうすればいいかわかりませんが、例えばルート選択ができたりとか。容量の問題などもあるんでしょうけど、あんなにゲーム的におもしろいシーンってなかなかないと思ったので。

それから根本的なものであれだし、老害と言われる部分なのかもしれませんが、どうしてもアクションじゃなければなかったのかな~って思います。少し前のゲームになってしまいますがペルソナ5って面白かったですよ。龍が如く7もコマンド選択式にしたのにも関わらず(桐生ちゃんが召喚獣になったにもかかわらず)、最高の評価を受けています。

アクションでよかったとも思いますが、やはりRPGらしい育成の楽しさ、仲間を育てる楽しさ、仲間を操作する楽しさってあるんじゃないかなって思いますよ。新しい挑戦をしていくのがFFなのかもしれませんが、FFらしさってのも大切な要素だと思います。

8.今後のFFどうなるの?

昔のFFは戻ってこないのだろうな~って思います。
物語の重厚さっていうのを考えて、今作では取り扱うのが難しい問題を取り扱い、さらには性表現までやってしまっているので、プレイする人とFFを続ける人を選んでしまうように思いました。

昔のFFを思い出した時に何が凄いかって、あのドット絵で最高に感動できたし、わくわくできたんだよな~ってこと。

飛空艇に乗ったときの高揚感とか、今のグラフィックで感じないのはなんでだろうっていう疑問とともに、今、あの高揚感を感じさせてもらえるとしたらどんだけ凄いゲーム体験なんだろうっても思うのです。

難しい世の中になったと思います。

あまりにも可能性が広がり過ぎるっていうのも問題なんですよね。
人のニーズも多様化していて、やはり昔ながらのファンタジーやゲーム体験じゃ物足りない人がいるのも事実だから。

僕がこんな感じで否定的なブログを書くっていうのも、世界の流れの中では些細な事なのかもしれないけど、それでも否定的な意見が1つでもない方が言い訳で書くべきか迷いに迷いました。

制作側のみなさんは素晴らしい仕事をしたと思っています。

FFナンバリングの新作を作ることがいかに困難か…
最高のストーリーを最高のグラフィックで、最高のゲーム体験を期待されているわけですから。常に新しいゲームの可能性まで求めらえるシリーズですので、それに応えようとあらゆる可能性を模索したのだと思いますしね。

本当はもっと書きたいことが渦巻いているのですが、とりあえずはこのくらいで・・・

またいつかFFが大好きだと手放しで言える日がくることを期待しています。

 

FF16でFFを復活させてほしかった人のブログ

ブログを久々に書きたくなったのはFFことファイナルファンタジーの「おかげ」です。

「おかげ」なのだからありがとう!!と言いたいところなんだけどFF最新作に物申す!!!って感じなのです、残念なことに。

1.RPGの双璧

僕のゲーム人生はドラゴンクエストファイナルファンタジーに彩られていると言っても過言ではないです。
ゲームが好きではあったけど、イマイチよくわかっていなかった幼少期…ドラクエを買ってみたはいいけれども、

「ねぇ、隣の町にはどうやって行くの?」

同級生にこんな質問をしてしまったのです。

「歩いて行くの」

半笑いで友達はこう答えました。
そりゃそうですよねwそんな感じで始まったRPG人生(それ以前にハイドライドスペシャルってのをクリアしてはいますが)。オンライン以外全部やっています。何気にドラクエオンラインはリリースから半年くらいはがっつりやりました。FF11はさわりだけやりました。

振り返ると僕の人生はドラクエとFFの新作の発売を待つ人生であったと言っても過言ではないのです。

2.FFはもうやらないかも・・・

ゲームの進化と共にドラクエもFFも変化してきました。
それでも変わらないドラクエ、ハードの性能を最大限に引き出すFFみたいな感じでしょうか。

FFはファミコン時代の1~3、スーファミ時代の4~6、プレステ時代の7~9、プレステ2の10と12、プレステ3の13、プレステ4の15、そしてプレステ5で16が発売されたと。

僕が好きなFFは3~6です。

もちろん7も10も好きだし、賛否両論の8も大好きです。つか、みんな好きでした。

ただ、?ってなり始めたのが12です。

12はゲームシステムがあまり好みではなかったり主人公らしき人物が空気だったりしたのですが、なんだかんだでストーリーが良かったしラストの方にグググイっと引き付けられました。あー、やってよかった。そんな気分になったものです。

で、問題の13ですよ。

ぱるすのふぁるしのるしがぱーじでこくーん

オリジナルな世界観を出すにしてもほどがある・・・というやつです。
物語もFF13単品では完結せず続いてしまったり、完全に一本道なゲーム進行だったり。

FFのナンバリングタイトルじゃなければ名作

これは間違いないです。
なんだかんだで楽しめましたから。でも違うな~、これじゃないな~って感じでした。

しかしながらこれも自分の年齢的なものかな~って思っていたわけです。

続編もやったし楽しんだにも関わらず、

「あ~、FFはもうやらないのかも」

と漠然と感じたのでした。

3.もう買わない

FF15です。
発表から発売日決定までずいぶん時間がありました。
ファンタジーっぽい世界観が楽しみだったのですが、体験版で挫折します。

「これ、くそげーやろ」

そう感じてしまったのだから仕方がないです。

FF7のリメイクです。
これも発表からずいぶんと年月が過ぎ去ってからの発売だったわけですが、やはり体験版です。

「もうついていけない・・・」

つまらないのではなく、じょうずに戦闘ができるかどうか不安になったんです。イージーモードというかこれまで通りのコマンド選択モードもあったのですが。それから1本で完結しないどころかミッドガルからの脱出までと知った段階で気が遠くなりました。

7のリメイクが完結するまで何年かかるのだろうか・・・と。

僕はもうFFをやらないかもしれない、本気でそんな風に思った2本でした。

もちろんどちらも買ってないし体験版のみのプレイです。

4.新作でるし時間もあるけど・・・

16は買わない。
そんな風に決めてしまいました。
事前情報はある程度いれていたのですが、なんかしっくりこないのと、15みたいな感じになるんやろな~ってだけで。FFにがっかりするのも嫌だったしね。

昨年末から家族の病気でたっぷりと時間ができました。

それであれこれ予算の許す限りゲームをやっていたのです。

龍が如く維新極、ゼルダの伝説BOTW、ホグワーツレガシー・・・そしてゼルダの伝説TOTK

どれも最高でした。
僕の人生でも下の下としか言いようがなかったこの10ヵ月なのですが、そのさびしさややるせなさ、むなしさを埋めてくれましたよ。

FF16はそれらのゲームに並ぶのか?

5.約束された神ゲー

なんとなーくYouTubeを見ていたら、とあるユーチューバーの方がこんな風に言ってました。いずれ詳しく書くので今日は飛ばしますが、FF16は神ゲーとなる要素がそろっていると。

そこまで言うのなら、ゼルダもクリアしたところだし体験版くらい・・・

ジルがかわいい

そんな些細な理由ではありますが購入することに決めましたw

6.FF神話は崩壊、復活は無理なのか?

2日程プレイしたところでブログを復活させて、あれこれ不満を書きたい!!
となったのです。しかし、クリアもしてないのに文句だけ言うのもおかしいし、もしかしたら最終的には最高でしたってなるかもしれないので、とりあえずレビューを先延ばしにしていました。

本当は明日書くつもりだったんです、FFの話。

この土日でクリアして、月曜日からFF16のレビューとFFとドラクエの思い出話などなど、何本かにわけて書くつもりでしたが、もう少し先になりそうですw

おっ!さすがにラストは盛り上がってきた!!このまま一気にクリアだ!エンディング楽しみだ!!

ってなってたのに、拠点に戻ってまりましたw

ってことで追加されたリスキーモブを討伐して、せっかく拠点にもどってきたことだし最強と思われる武具を作ってラストに挑みたいと思います。

つかさ、なんでこの剣があの剣よりも弱いの!!!アホか!!

って1時間前になったのでした。

完全3Dの映画がおおこけしてから暗雲が立ち込めたわけですよ、スクエアとエニックスが合併してしまったし。それでもなんとか持ち直したりしてきたのだから、復活して欲しいのです。このまま終わってほしくなかったのです!!

次回、FF16の光と闇に続きます・・・