好きだからこそ・・・
今回も徒然って感じなので章分けせずに普通のブログで。
今日、YouTubeでとあるレビューを見ててすっごい違和感を感じました。
僕も主観的なレビューを多々こうやってブログで書くので気を付けなくてはならないわけなので自戒的な意味もこめて文章にしておこうかなと。
この数年…いや、もう10年くらいの話になるのかな、「ファン」に対して「信者」って言葉をよく聞くようになりました。推し活文化が盛んになってる現在は少し様相も違っているように感じますが、ファンと信者の違いってなんなのだろうってよく考えます。
僕自身も10年ちょっと熱烈な推し活をしていました。
冷静に客観視するまでもなく「信者」でした。
「推しが提示するものは全て素晴らしい!!!」
これが信者の定義の一部なのかな~なんて思いますが、僕はまさにそうでした。推しが発表する制作物・創作物などあれやこれ、どれもが間違いなく良いものだろうっていう前提で見たり聞いたり色々するわけです。
最初の数年は間違いなくこれだったのですが、僕自身、表現者を目指していた時期があったし表現するということについてはそれなりの持論や見解があります。それらの自分の判断基準に照らし合わせると、今の自分はおかしい…間違っている!という判断に至ったときがありました。一言で言えば、
「全てが良いわけじゃないよな・・・」
という事です。
クリエイター、アーティスト、パフォーマー、プレイヤー、表現者としての推しを尊敬していたし、信頼していたし、ただただ好きだったし。
でも、全てが良いわけじゃないんですよね。
これは良かったけど、これはイマイチなんてことはいくらでもあるわけで、そうじゃなくちゃつまらないっても思うのです。
やがて推しと繋がり(Line等で)を持つようになっていくのですが、創作物については批判などをすることはなかったです。これが良い事なのか悪い事なのかはわかりませんが、少しでも批判めいたことを言うと推しが怒るのでやめたのです。
ただ、例えばラジオ番組など他者が大きくかかわるものに関しては痛烈に批判することもありました。
他にも僕がプロの現場で仕事に関わることがあった分野の事に関してあーだこーだ言いたいことがあったのだけど、推しのそれを作ったプロの人を僕ごときが批判するのもあれだと思ったので控えたことがあります。明らかにおかしなものを推しが使い続けているのを見るのはきついものがありましたが、なんとな~く言いにくかったです。推しが怒るので。
一度は指摘したこともありました。
でも、僕がアドバイスの言葉を続ける前に怒り始めたので、ごめんなさいと言葉を続けるのをあきらめました。
センスに関わることについては人それぞれってのもあったし、自分のセンスにそこまで自信がなかったので指摘するしないの話以前に、自分の意見というものは無いものだと思っていました。ただ、とある事に関して推しはすげ~センスがなかったと思います。
さてさて。
僕の話は推しとつながっていた場合であって特殊なので置いといて、信者となってしまうとやはり盲目的になんでも肯定するようになってしまうと思います。
これが良いか悪いかというと、良いと思います。
何と言ってもそれが幸せですし、楽しいです。人生を豊かにします。
ただ、推しを肯定するのにも程がある事例も多々ありますよね、最近は特に。僕が見聞きしたものでいうと、推しが不倫していたことを肯定したり、某ジャニ問題で過去の事なんだから別にいいじゃないみたいなのだったり。物事を冷静に判断しなければならないはずなのに感情が先に立ってしまっているような事です。
基本的に推しに対する態度としては感情が先に立つ方良いに決まってます。
しかし、程度の大小に関わらず何かしらの被害を被っている人がいる場合や法に触れる場合は自分の感情を抑えるべきです。言葉が見つからないのならば、自分の中で答えが出るまではノーコメントで良いのですよ。散々考えても答えがでなかったらそのままで良いのです。感情的な言葉は時には美しくあるし、時には無茶・無鉄砲であったりもするので、冷静さと論理的な考え方が必要になると思います。
例えば音楽について。
推しが作った曲だから、推しがせっかく出してくれた新譜だから間違いない!!
これで良いとは思います。
大好きな推しが提示してくれた作品ですものただただ好き、なんなら聞いてないけど名曲!!ってなるのが人間らしくて良いですよ。
例えばゲームについて。
好きなゲームメーカーが作ったゲームだから面白い、好きなゲームメーカーが出す新作だから神ゲーに違いない!!
好きなゲームプロデューサーが作ってくれた…
これもまた良いとは思いますよ。
こういったものは映画やアニメ、漫画に至るまでいろんなパターンがありますが、推し活という観点においては生活・人生を豊かにしてくれるので良いと思います。楽しいし、幸せです。批判の無い人生ってのは。
でも、音楽もゲームも映画もアニメも漫画も売れなければ続けられないのです。
もちろんまったく続けられないことはないと思います。
ただ規模が小さくなっていったり、推しが思い描く活動ができなくなる可能性は高いです。
僕が推し活をしているときは最終的に活動の規模を小さくした方が推しにとっては良いのではないかって考えていました。その方が推しが作り出す良い作品をより多く体験できると信じていましたので。もしかしたら推しが活動をやめてしまう可能性もありましたが、それでもその方が良いと思っていました。推しは今のまま頑張りたいと考えていたし、僕は頑張っている姿も見ていたかったので、こういった僕の希望は一切口にしませんでしたが。
ファン側が推しの活動に対してあれこれ口出しするのは意味がないです。
推しにはこうして欲しい、推しにはこうなって欲しい、推しにはこんな作品を出して欲しい!!
そういうことを考えるのは当たり前です。でも口にするのは無意味だしマイナスでしかないです。推しには推しの考えがあって活動をしているわけで、推しが自分で考えて進んだ道が好きであるべきなんです、ファンは。
しかし、作品に対する批評は別です。
これはどんどんやるべきです。ただし、批判ではなく、否定でもなく、批評です。
このブログでもレビューをした「FF16」や宮崎監督の「君たちはどう生きるか」についてですが良くも悪くも賛否両論になっていますよね。僕自身もFF16には否定的でしたが、「君たちはどう生きるか」については肯定的です。どちらの作品も僕と真逆の感想があるのです。
賛否両論になった作品は名作…だと思っています。
「君たちはどう生きるか」については、まだ(せめて夏休みが終わるまで)情報を少しでも出すべきじゃないと考えているので内容については触れませんでしたが、良い部分悪い部分もあるけど誰もが絶対に見るべき作品と考えています…子供には難し過ぎるのですが。
逆にFF16はあれでも優しめにレビューしていて実際は誰にも薦めたくないくそげーって言いたいな~って気持ちがありますwただ、本当にキャラクターの基本部分が凄く好きだったので(ストーリーが進むにつれてこいつアホかってなったりしてます)、全てがクソではないんですよ。グラフィックも良かったし。
どちらの作品も僕と逆の立場の人たちがたくさん存在していて、それぞれの感想や意見があるんです。これをまさに賛否両論と言うわけですが、熱心に議論がされればされるほど、その作品についての理解が双方進んでいくわけだし、新たに手にする人見る人に興味を持たせることにもつながります。
さすがに宮崎御御大はそういうことはなくてとことん自分の道を進むと思いますが、賛否両論によって議論が進むことによって必要な事、不必要な事、ユーザーが求めている事が明確になっていく可能性があります。
議論というものは次につながる可能性があるのです。
しかしその議論は濁りのないものでなければなりません。
濁る要素としては以下の2つ
- 嫌がらせ
- 信者
食べログやGoogleレビューなどで飲食店が被害にあうのが嫌がらせです。
自分の好みじゃなかったならまだしも、自分の行動などを棚に上げての気に入らなかったというレビューや、同業他店による嫌がらせなどですね。
これはゲームや映画でもありますよね。
見てもいないのに、プレイもしてないのにただただ嫌いだからという理由で低評価をする。こんなものは何の役にも立ちません。議論を濁らせる要因になるだけです。
そして信者です。
先にも書きましたが盲目的な信者だと実際に体験する以前の
「推しなら間違いない」
という信者ならではの理論です。
推し活をする上ではこの上ない幸せの条件ですが、議論の場では濁り以外の何物でもないのです。推しが良く言われてるのを見ると無条件に嬉しくなります。しかし逆に推しが批判されているのを見ると内容に関わらずイラっとします。推し活ならこれでいいのだけど、それを議論の場に持ち込まれるとやはり濁りでしかなくなるんです。
「宮崎監督の新作だから絶対に見に行く!!」
ここまではファンや信者ならありえます。スタジオジブリ、宮崎駿っていうネームバリューなら特に熱心なファンでなくてもある話です。
でも、
「宮崎監督の作品だから多分おもしろいであろう」
までなら良いとしても、
「宮崎監督の作品だから間違いなくおもしろい!!」
は少し違ってきますよね。
今回の「君たちはどう生きるか」は特殊だったので、ここで語るのは少し難しいけど普段のジブリ作品・宮崎作品だったらあり得る話です。
「宮崎監督の作品だから多分おもしろいであろう」
↓
「やっぱりおもしろかった!」or「今回はイマイチだった」
中間の感想は省いたとして、こんな風になるのが普通です。でも信者の場合は、
「宮崎監督の作品だから間違いなくおもしろい!!」
ここで終わりなんです。
作品の内容に関わらずここで感想が終わってしまう。これじゃ内容はわからない。でも単なる信者ではなく、愛すべき信者だったら、
「宮崎監督の作品だから間違いなくおもしろい!!」
↓
「あー、どんな作品であっても宮崎監督の作品はおもしろいな~」
となるのかなぁ~ってちょっと思ったりもしますw
もちろん議論の場では意味のないものだけど、こんな感想を持つ人だったら僕は大好きです!
でも、やはり少しは意見を持った方がいいなか~って思います。
音楽、絵画などアーティストと呼ばれる人たちが作る作品だと少し様相が違ってきます。宮崎監督の作品はこちら側に入るし、クリエイターは少なからずこの気質を持たなければならいと考えています。以下に続く話の前置きとして書いておくと。
まずは広義の意味でアーティスト(芸術家)と呼ばれる人たちは自分自身の思想や哲学といった考えなどを作品にしているのでどんな議論があっても無意味です。大前提として。でも、これがどうして良いのか、悪いのかっていうのは考えます。さらにプラスとして他の人たちが好きだろうが嫌いだろうが、これは譲れないし、これはやり続けたいっていうのがあると思います。
例えばミュージシャンがアルバムを発売したとして、実験的な曲を入れたり、普段と違う理論で作った曲が入っていることがあります。
それはアルバムという1枚の物語の中に必要な曲であったり、普段シングルで作れない曲だったり、アーティスト活動の試金石だったり。色々なパターンがありますが、
- おもしろい!
- これはこの人には合わない
- つまらない
- 自分は好まないけど何か感じる
- 新しい
etc...
こういった曲の場合、ただただ好きだけではなく色々な反応が見れます。
単なる信者ではなくアーティストの真意を可能な限り読み取れる場合ならここに批評が生まれるのです。しかも有意義な。
アーティストはそれを受けるか受けないかはその人によるけど、これはイマイチだったなと感じるかもしれないし、それでもこれは自分がやりたい創作活動だから続けるってなるかもしれない。
でも、今はCDが売れない時代だしアルバムにしてもアルバムとして買わずに配信で気に入った曲だけを買うなんてパターンもあるので、狭義の意味でアーティスト(ミュージシャン)側もベスト盤みたいなどれでもシングルカットできそうな曲を集めたアルバムばかり出すようになったかなぁ~とは感じますが。
純然たるアーティスト…語弊があるとよろしくないかもだけど、営利目的ではなく創作こそが目的であってお金は二の次三の次みたいな芸術家の場合は作品が売れようが売れなかろうが、評判が良かろうが悪かろうが関係なく作ります。それでも批評というものは創作の中で大きな力となるし、迷っているとき方向性が見えてきたりもします。
僕が学んだ学校では批評家精神を養うことに重きが置かれた教育を受けました。
学生はアーティスト(音楽ではないです)を目指すのですが、それと同時に批評というものも学びます。入学当初は先生たちにけちょんけちょんに言われまくって凹む毎日なのですが次第に意図を汲めるようになり活かせるようになっていきます。やがて他者の作品を言葉にできるようになり批評をしていきます。それは学生同士友人同士にも至り、時には相手を傷つけてしまうし自分も落ち込むことがあるのですが、表現と批評を学ぶにつれてそれらの言葉が栄養になり、表現者としての力をつけていきます。
批判や悪口と違って批評は正しく必要な行為だと思います。
ま、僕も未熟でしかない人間なので単なる悪口になってしまうことが多いわけですがwそれはそれでご容赦を。
ちょっとまとまらないまま書き綴ったのであちこちに話がいってしまったり一貫性がないかもしれませんが、それもご容赦を…
で、で、ですよ。
FF16についてってわかってしまうだろうから隠さずにFF16のことだと明言して話をしていきます。
FFことファイナルファンタジーは36年も続くジャパニーズRPGですね。
そしてFF16はそのナンバリングタイトルであり老若男女の幅広いファン層が期待しているタイトルでもありますよね。
それからファン離れが進んでいるのも昨今のFF事情であるのは言うまでもなく、ファン離れを止めて尚且つ新規ファンの開拓を期待されたのがFF16である・・・と、僕は理解しています。
で、あちらこちらでこのFF16に関する論争が起こっていると…いう風に感じました。
特徴的なのはクソゲーと言い切っている人たちは少数派で、否定的な人達も神ゲーではないけど良ゲーどまりや凡ゲーと評しています。逆に肯定派は一部否定的な部分があるも概ね神ゲーみたいな感じに評しているでしょうか。
一部の評価に値しないレビューを除いたとして、これって概ね高評価なんじゃないのかな?
と感じます。
本当にクソつまらないゲームだったらノーコメントでスルーしますよ僕だったら。極上のクソゲーならクソゲーっていじり続けますしw
僕が感じたFF16はもったいない、惜しい、なんか悔しい…そこそこ楽しめる普通のゲームって感じでした。もう少しなんとかすれば歴代のFFナンバリングタイトルに引けを取らない神ゲーになっていたと思います。
でも、凡ゲーですよねw
肯定的なレビューをしてる人たちの全てではなく1部にいわゆる信者だよな~この人って感じる人がいました。
ここまで散々書いてきたように信者は悪くないです。人生を豊かにするシステムの1つです。しかし評論の場においては議論を濁す要因でしかありません。
僕も悪口みたいにFF16を評してしまっているので、それについてはここで謝罪します。申し訳ありませんでした。
悪口(誹謗中傷)と信者は濁りを作ります。
スクエニが作った作品だから!
吉田さんが作ったから!
第三開発が作った作品だから!
FFのナンバリングだから!!
面白い!
これらが濁りの正体ですね。そして、
「スクエニのスタッフさん、開発さんたちが頑張ってるのに否定するなー」
みたいなやつでしょうか。
ゲームクリエイターの全てがそうじゃないかもしれませんが、皆さんクリエイターです、アーティストです。プライドをもって作っています。批評家魂ももっていると信じていますよ、僕は。
これが俺たちのFFだ!!どやっ!
って世に送り出したのがFF16です。そのはずです。
それがつまらなかったら?
みんながみんなではないですが一定数のユーザーはFF16をつまらないと評しました。これが現状です。僕はわりと年齢が年齢なので賛否のどちらも冷静に見ています。どちらも正しく、どちらにも一理あると思います。でも、確実に理論的に正しいFF16はつまらないという評価がありますよね。
この批評を受け取れないようなスタッフが今後良い作品を作ることができますか?
僕はそんな風に感じます。
ゲーム作りお疲れ様でした!までは良いでしょう。でも、面白かったかつまらなかったかはしっかりと言葉にしても良いと思いますよ。ゲームクリエイターへの人格否定はあってはならないことです、ゲーム会社への単なる悪口はゴミです。
でも、ゲームクリエイターがどんな風にゲーム開発に取り組んだかについて、FF16をプレイすることで感じたりインタビューを読んで感じたことについて苦言を呈すことは悪い事じゃないですよ。
FFっていう偉大な大作を、しかも落ち目からの復活をかけて開発を担うことはどんだけ大変なことか想像を絶します。
FF16を作り上げたことに関しては拍手を送りたいです。
その上で批評をしっかりとしていくべきではないでしょうか。
批評行為を誹謗中傷であるとしたり、自分が面白かったからといって低評価をしているレビューを否定したりっていうのは違うはずです。低評価していることに反論したいのなら、同じ個所についての高評価を論じればいいのです。
広義のアーティストは自分の道を貫きます。
その中で評価されるか、誰にも相手にされないかはわかりませんが自分の作品を作り続けるでしょう。
しかし、ゲームは作品であると同時に誰かを楽しませる、誰かが楽しんで完成されるものなのです。誰も理解できない誰も楽しくないゲームはゲームじゃないですよね。
FFのクリエイター達はアーティスト的側面と誰かを楽しませるものを作るエンタメ要素をしっかりともった、いわばハイブリットアーティスト、ハイブリットクリエイターなんだと思います。
批評を受け取り長所を伸ばす、短所を改める。
これらができずして次のFFナンバリングはないですよ。
クリエイター達が真剣に作ったものを遊ぶわけですから、受け取るこちら側だって真剣に遊びますよ。真剣に遊んだからこそ否定的な部分も出てくるんじゃないでしょうか。それを信者的に盲目的にプレイする前から面白いと決めつけることこそ失礼に値するのではないでしょうか。
どうして否定的な意見があったのか、面白いと思った人も知ってみるといいのかもですね。
もちろん否定的な意見を見ないようにするっていうのも良い防御作です。
でも見ないで文句をいうのは卑怯というものです。相対する意見が嫌で見ないのならば沈黙すべきと思います。
各SNS、YouTubeのコメント、色々と言葉を発することができる場所が増えてますが言葉を発する前に1つ深呼吸をして冷静になるべきです。自分が好きな人が正しいっていう気持ちは尊いものです。でも、自分の好きな人が間違っているときに間違っていると言えることだって尊いはずです。
僕は今回のFFナンバリングをプレイして、散々に文句を言いまくりましたが次回作に期待しましたよ。15の時は正直、そんな気持ちにもなれずにほとんどプレイせずに見放したうえでいっさいFF15に関しては言葉を発しませんでした。これで終わりかな~っても思いましたし。
次のナンバリング、FF17を失敗したらFFは終わるかもしれません。もしかしたら今回で終わりなのかもしれませんが、次回作があると期待するからこそこれじゃダメだって言いたいんですよね。
僕の長年の推し活、もしかしたら嫌われたかもしれないし、怒られ続けたかもしれないけど、それでもあれほど好きだったのなら言うべきことはしっかりと言うべきだったのかな~っても感じてます。作品群に関しては感じたままにレビューしてね。
でもよい時代になりました。
色んな人の色んな意見を目にすることができるのですから。