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FF16エンディング考察(※ネタバレ有。あと何故かオッドタクシーのネタバレ有)

FF16、やはりなんだかんだで盛り上がってますね。

これはこれで成功だと思うんです、前の記事でも書きましたが。
で、エンディングの考察も盛り上がってる1つみたいです。僕的にはあまり興味がない部分だったりするので状況を詳しくは把握していないのですが、これはこれでゲームの楽しみの1つですよね。

僕自身、FF16に関しては考察を一切してません。

ハルポクラテスの大百科的なものは全て読みましたが、考察するほどには全てを把握してません。ファイナルファンタジーモードもクリアしてません(数分でやめたw)。その上でのエンディング考察ですので、すっげー薄いなこいつ!きっと頭髪も薄いに違いない!!って思われるのを覚悟で書いてますので、それでも良いのならお付き合いいただけると幸いです。

1.大きく分けて2説

エンディング考察は概ね2説に分かれているようです。
もしかしたら他にもあるかもしれないし、これからDLCが配信されるなんてことがあってさらにあれこれ考察されるかもしれませんが、現時点では大きく分けて2つです。

  1. クライヴ生存説
  2. クライヴ死亡説

超簡単に言うとこの2つですね。

ここから完全なるネタバレに突入するので、まだ未クリアの方は離脱をお願いします。

 

ネタバレ防止のため数行だけFF16の悪口でもw
FF16はダークファンタジーであるという事前情報があり、実際それらしき感じのストーリーでした。どの辺がダークなのかな~って考えると、例えばベアラーという奴隷の存在や主要登場人物の死とかその辺なのかと。
ダークファンタジーで誰もが思いつくのが「ベルセルク」だと思います。僕的にベルセルクは極上のダークファンタジーだと思います。主人公ガッツの目的は世界平和なんかじゃなくて復讐だし、主人公側だったグリフィスの闇落ち、蝕、人外モンスターのゴッドハンドや使徒達…パックみたいなちょっとした息抜きキャラはいるものの、とことん暗くてとことんダークですね。
そんなベルセルクと比較するとダークファンタジーとしてはぬるいです。FF16。もしかして、ずーっと暗いストーリー進行がダークファンタジーであると誤解してるんじゃないかってくらいにずーっと暗いですよね。画面も物語もキャラの表情も。血がドバっと出る、親父の首が転げる、奴隷制度…この程度じゃダークファンタジーとしてはまだまだな感じがします。それじゃ、街の滅亡とかその辺もかな~っては思います。FF16の場合は雰囲気的なものが大きいのかもしれませんね。

ドラクエに抱くイメージってどんな感じですか?

ドラクエって明るいイメージが強いと思います。でもストーリーはわりときついです。悲しいですよね。でも明るい。過去のFFナンバリングもストーリー自体は暗いものが多いかもです。でも明るいイメージも同居します。

ドラクエは世界そのもののイメージだったり、しゃべらない主人公の前向きさひた向きさだったり、暗い状況でも明るく生きる人たちだったり。ぱふぱふだったり、すらりんだったり・・・あとは鳥山明さんのキャラクターとすぎやまこういちさんの音楽も明るさを演出してくれてます。
過去のFFナンバリングもチョコボだったりモーグリだったり、ティーダの明るさ前向きさだったり。そもそも僕のイメージでは勇気と希望の物語だったりするんですよねFFって。どんなに暗くてつらい状況でもそれを勇気と希望で打破するみたいな。

ネタバレ防止のための行数稼ぎなので中途半端になってしまいましたが、とにかくダークファンタジーを作るっていうのならもっと踏み込め、もっともっときつくしろ!!っておもうのです。この程度だったらこれまでのFFの文法の中で作っても良いし、ドラクエを見習えとか思ってしまったのでした。
キャラ達が好きだったので、もっと明るく楽しそうなクライヴやジルが見たかったですよ。クライヴが気を抜いてるのってアジトの子供達と天秤を直してるときだけじゃないかな。

では、次章から話を戻します。

2.エンディングの本

アルテマと戦ったクライヴが最後、石化していると思われる手を星空に突き上げて、多分、そのまま死んでしまったのだろうというのがラストです。アジトでは世界の希望の象徴として子供が生まれるが、月を見て主人を待つトルガルとその横で泣き崩れるジル…
エンドロールが終わると母親に火を起こしてくれと頼まれる子供。

「魔法が使えたら簡単に火なんか起こるのに」

「それはおとぎ話の中の話でしょ」

親子のこんな会話。そして本がとじられると、「ファイナルファンタジー 著者:ジョシュア・ロズフィールド」の文字が。

エンディングをすげー簡単に書くとこんな感じ。

クライヴ達の物語はどうやらファイナルファンタジーという本で後世に語られていて、その著者はジョシュアを名乗っているということと、その世界ではすでに魔法が失われていることがわかるわけです。

そこで考察されているのがこの本の著者についててです。

そのままジョシュアが書いたものなのか、それとも他の人がジョシュアを名乗って書いたのかってことですね。

じゃ、ジョシュアじゃなくて誰が書いたのか?

そうなると自ずと浮かび上がるのがクライヴです。

クライヴがジョシュアを名乗って書いていたとしたら、クライヴは生きていたということになります。いやいやクライヴは死んだのだから無理があるだろう、あれは実はジョシュアが生きていて書いたんだ・・・等々考察されるわけですが、クライヴが生きていたのかどうかがキーポイントになる場合が多いようです。

3.僕の初見での解釈

僕がエンディングのラストのシーンを見て感じたのは以下のフローになります。

ジョシュアが生前執筆してたんだ!

でもジョシュアは途中で死んだのだからラストはどうやって書いた?

じゃ、クライヴが書いたのか?

ジョシュアもクライヴも死んでるって捉えるのが無理ないよな…

ジョシュアがアルテマ戦に向かう前まで書いていたのを後に誰かが補完し完成させたんじゃないのかな?

それは別にクライヴである必要はない。

ハルポクラテス?ジル?

その辺はどうでもいい。過去に魔法が使える辛い時代があって、今は平和で安らかな時間の流れる時代になっている…で、いいんじゃまいか

って感じです。
つまりは考察を放棄しましたw

絵面通りにジョシュアが書いた著作物であると僕は素直に思いました。
でもジョシュアはアルテマ戦の前に力尽きているので、クライヴとアルテマの戦いとその後のあれこれは書けないよなって。クライヴが生きていて、ジョシュアの後を継いで執筆したのがしっくりくるけど、ジルの事をあんなに泣かしてしまっているのに、実は生きてました(∀`*ゞ)テヘッってなったら、てめー(∀`*ゞ)テヘッじゃねーよ、テヘじゃ!!ってなるわけだしな~とか。

僕的にはジルが泣き崩れたのは月の横に輝いていた赤い星メティアが消えたことでクライヴの死を察したのではなく、クライヴの死が報じられたから泣いたんじゃないのかな~って思っていたので、正直な所、クライヴ生存説は最初から考えませんでした。クライヴはもしかしたら生きているかもしれないっていう風に捉えることもできたり、クライヴの死が確信できるような演出がなかったのは、これまで一緒に冒険してきて愛着がわきまくったクライヴの死を確定するのは残酷だから配慮したんだろうな~くらいな感じです。僕が物語を作るとしたら安易な生存は物語の完成度が低くなる感じもするので避けます。やるとしたら浜ちゃん主演のドラマ「竜馬におまかせ」みたいなラストですかねw生きてるなら生きてるとはっきりさせますよ。

3.ジョシュア生存説

僕は冒頭に2つ、クライヴ生存説とクライヴ死亡説の2つに分かれてるとしましたが、クライヴ死亡説の場合はジョシュア生存説って感じにつながるようです。

ジョシュアはそもそも体が弱かったです。
その上、ショッキングな出来事が起こり、さらにはクライヴと離れていた10数年(18年になるのかな?)の間、アルテマに関する探索を続ける中、フェニックスのドミナントとして相当無理をしてきたことが伺えます。さらにはアルテマを自身の中に封じるなんていう無茶もしているわけで、ラストバトルに辿り着いた時点で奇跡的なことのようにも感じるのです。

そもそも、ベアラーやドミナントがどのくらい魔法を使うと石化して死んでしまうのかさっぱりわからないのでなんとも言い難いのですが、ジョシュアはリーチがかかっている状態だったんでは?と思うわけです。クライヴと合流した後も随分と調子悪そうでしたから。

そして決定的なことが起こりジョシュアは命を落とします。

クライヴがフェニックスの力をジョシュアに行使しますが、あれは治療目的や蘇生が目的ではないと思います。FF16の世界ではフェニックスには蘇生の力がないと明言されていますし。クライヴがあの時ジョシュアに使ったフェニックスの力は、せめてジョシュアの傷ついてしまった体を元に戻し綺麗な体にして安らかに眠ることを祈ったものでしょう。僕的には間違いなくそう思ってるのですが、ま、多分そんな感じでしょうね。

それでもジョシュアが生きていたという説がささやかれているのは、クライヴがアルテマを倒した後にアルテマの力を吸収したことによってレイズが使えるようになったんじゃないか、フェニックスの力がパワーアップしたんじゃないか?っていう理論から論じられているようです。他にもジョシュア生存説の理由があるようですが、大きな要素としてはこれです。

ありえない話ではないと思いますが、物語としてスムーズじゃないように感じます。僕の直感ですが。

考察というより圧倒的に感覚だったり自分の好みではあるのですが、ジョシュアはあの時点で死んでいる…そして、ファイナルファンタジーの著者はジョシュアではない、もしくはジョシュアの後を引き継いだ何者かが完成させた本である・・・と、思います。

3.クライヴ生存説

ジョシュアが死んでいるのだったらクライヴは生きてるんじゃね?

って思うわけですが、これもちょっと薄いな~って思います。
クライヴ生存説については、石化がまだ腕の一部でしかなく完全石化したわけじゃないので生きている、泣き崩れたジルが立ち上がり遠くを見てほんの少し微笑むような表情をしているので希望が見えたのじゃないか、ハルポクラテス関連のサブクエストで最終的にクライヴがハルポクラテスからペンを譲り受けることからファイナルファンタジーの著者がクライヴだという説などなど。

こういう考察をする方達って本当に尊敬します。
良く見てるな~って思うし、僕なんかゲームの序盤なんてすっかり忘れちゃうわけで細かい所までしっかり記憶してること、もしくは考察のために何度かプレイしてることに尊敬します。文章や動画で少し拝見したのですが、ほんと感謝感謝です。ありがとうございます。

色々な視点からクライヴ生存説が語られていますが、僕的にはハルポクラテスから「ストラスの羽根ペン」を譲り受けるのだけどその時に、全てが終わったら剣からペンに持ち替えてクライヴの物語を綴って欲しいという言葉がそえられています。

FF16はラスト近辺で発生するサブクエストによって主要登場人物達のエピソードが深堀されます。レビュアーの皆さんの中にはこれらのサブクエストをやらずにゲームの評価をするなって方達がいらっしゃいますが、実際にその通りでジルやトルガルのエピソードを知らずにクソゲー扱いは酷いわけです。
以前も書きましたが、僕的にはメインストーリーに組み込めないにしても、終盤も終盤に一気に大量にサブクエストを発生させるみたいな一括処理みたいなことをやらずに、長い旅路の中で少しずつ上手に語られなかったのかと悔しく思ったりもするわけです。

そして、ハルポクラテスからペンを譲り受けるクエストもその中の1つです。

伏線やサブクエスト的なメインから少しはずれたストーリーをどう解釈するかによって考え方や見え方は変わってきます。

例えば伏線と思われたものが回収されずに終わってしまったなんてことがよくあります。こういうことは自分の人生に置き換えて考えてみてください。高校…じゃちょっと遅いか。中学の時にクラスに好きな子がいたとします。それがあなたの初恋であったとしましょう。好きだったのだけどそれを告げられずに卒業を迎えてしまいます。卒業式が終わり学校を後にするときにその人からニコリと微笑みかけられます。あなたはずっとその微笑みが頭から離れません。しかしその後その人とは会うこと叶わずにあなたの人生の幕が閉じます。これ、すっげー伏線だと思うのだけど回収されずに終わりましたよねw

人生にはたくさんのノイズがあります、良いもの悪いものどちらも。
そのノイズに気付かずに通過してしまう場合もあるし、先ほどのたとえ話のように一生ついて回る場合もあります。そしてそんなノイズ達の中にはしっかりとした答えや結末、結論が得られるものもあります。それを回収というし、回収されたときに伏線だったと気付くわけです。

「あ~、あの時か!わたし覚えてるよ。あの時ねあなたのチャックががっつり開いてたの。それ見て思わず笑ってしまって。卒業式の間もずっと開いてたのかと思ってw」

後日、その人と会うパターンの世界線で微笑みの理由を聞いたらパターンです。しょうもない伏線だったわけですね。回収されなければ初恋という良い思い出が付随された素敵なノイズだったのに・・・

話は戻ります。

物語を作るときに無意味なものを混入させたくないって思うのが人間です。
でも、実際の人間の人生っていうのはノイズだらけなわけです。意味の無いものがいかに多い事か。

ハルポクラテスのメッセージには大きな意味があり、しっかりと回収されるのならばクライヴが生きていることの伏線だと考えるのは至極当然のことだと思います。そして、クライヴは生きていて、ハルポクラテスの想いを受け、ジョシュアの後を引き継ぎ物語を完成させる・・・すっごい美しいラストです。きっとジルもトルガルも幸せな結末を迎えるしね。僕的にもこんなに良いラストはないです。

その気持ち良さすっきり感こそ落とし穴なんじゃないかな~って思いました。思う必要ないのにw

ハルポクラテスからペンを譲り受けることはノイズみたいなものです。伏線と考えずにノイズであると思いましょう。実際の人生がノイズだらけであると同様に、物語の中にも回収されないままの伏線、つまりはノイズがあるわけです。
しかしながら、ハルポクラテスの想いは戦乱が終わった後のクライヴの生き方を指し示すものでしょう。二度と人類が間違いを起こさないようにするためにペンを取れ…これがハルポクラテスがクライヴに託した思いです。これで単なるノイズではなくメッセージとして完結します。これはこれで話は終わりなのです。

他にもクライヴ生存説の理由はあるのでしょうが、僕が一番強いと思った理由がハルポクラテスでした。僕的な言い分ではありますが、これがクリアとなるとクライヴ生存説は無いと言えるのです。僕の思い込みの中ではw

4.じゃ、なんなの?

僕が考えるFF16のエンディング考察ですが・・・

ラストに出てくるファイナルファンタジーはジョシュア・ロズフィールドという名の作家さんが書いた空想の物語である!!

という感じです。
身も蓋もないですが、FF16で体験した物語は作家さんが書いた空想のおとぎ話なのですよ。そもそもFF16がフィクションじゃねーか!ってなりますが、メタ的な感じでジョシュア・ロズフィールドという作家が書いたフィクションなんです。つか、ジョシュアの正体は吉Pじゃね?っても言えるかもw

ま、ま、途中で考察を諦めたって書きましたよね。

実際は諦めたわけじゃなくて、ある時から考察し過ぎるのって無粋かな~って思うことが多々出てきたのです。物語を楽しんだ後に色々と考えを巡らせるわけですが、考え過ぎてしまっても僕程度じゃ良い考察はできないっても思ってるのです。

岡田斗司夫さんみたいな考察を見てしまうと、自分のやってる考察はしょうもないな~って思ってしまうというのも理由の1つですね。全く考察しないのは思考停止になりかねないので一通りは考えるようにしてますが。

5.神様視点の存在

でも、実際にはジョシュアにもクライヴにも見ることができなかったシーンがいくつかFF16には存在しています。冒頭の方にある軍事会議もそうですよね。クライヴもジョシュアもいませんので。

もちろん物語の関係者の誰かはクライヴもジョシュアもいないシーンに参加しているので、あの物語の関係者達に取材をして物語をジョシュアかクライヴが深めていったという可能性も捨てられないので、著者がジョシュアもしくはクライヴの可能性もぬぐい切れません。

それから物語にはどうしても神様視点みたいなものが存在しちゃうものです。

クライヴ視点で物語が進行してはいるけど、クライヴが画面に見えている時点でユーザー視点で物語が進行しているといえますよね。ユーザー=神様視点なわけです。神様がいる以上はクライヴが知り得るはずがない情報も知り得てしまうわけです。

オッドタクシーをご存じでしょうか?

オッドタクシーは主人公のセイウチの小戸川をはじめとして登場キャラクター達みんなが動物の姿をしています。見ている僕たちは擬人化された動物達の物語だと思って見るわけですが、物語の終盤に実は主人公の小戸川は子供の頃に受けた事故の影響で人間が動物に見える症状を持った人だとわかります。つまりは動物に見えた人達はみんな普通の人間なのです。しかし、小戸川視点で物語が進行していくので登場人物全てがそれぞれのパーソナリティに関連した動物に見えるのです。

でも、そんなオッドタクシーにもちょっとした変な部分があります。

それは小戸川が関わっていないシーンなのにみんな動物に見えてるシーンがあるのです。人間が動物に見えるのは小戸川の病気のせいなわけで、小戸川が関わっていない、その場にいない、回想してるわけでもないシーンは小戸川の視線を通してないので動物ではなく人間に見えなければおかしいのです。

ジョシュアやクライヴが立ち会ってないシーンがジョシュアかクライヴが書いた本に登場すること、小戸川がいないのに人間が動物に見えてしまうこと、少し違うようで共通点があると思います。
物語を作る上ではどうしてもご都合主義的なものが必要になる場合もあるということです。

オッドタクシーの場合、途中で登場人物が人間に見えてしまっては台無しなんです。ブルースウィリスが死んでいると途中でわかってしまうようなシーンがあっては台無しなんです。そのためにはご都合主義的なことも有りなんです。

ジョシュアやクライヴがいないのにシーンとして存在しているから、彼らの著書ではないとしてしまうのはちょっと違うかな~って思うわけですね。

6.凡ゲーかもしれないけど悪くないのです。

さてさて、なんだかんだでFF16が頭から離れない僕です。
神ゲーでも良ゲーでもないし、ストーリーもイマイチです。登場人物達は好きなので、登場人物と世界観はそのままで作り直して欲しいなんても思ってしまうFF16ではありますが、発売からひと月半も経過した今でもあれこれ語られているわけだから意味がある作品だったと思っています。

誰もが気に入るというのは無理な話です。
でも新しい人たち、若い人たちだけに迎合するのも少し違うかな~って思いますよ。レビューの中にはあれこれ表現は違えど老害黙ってろ的な僕にはとてもあいたたたな言葉を見受けられます。でも、FFを最初からプレイしてきた人の多くはもう老害と言われてしまう年齢になっているんです。

だからそんな我々が期待するFFってのがあってもいいよな~っても思いますよ。

自分が老害であるっていう意識があるし、若い子たちが気に入ってくれなければ先がないというのもわかっているので、いくらでも「今・ここ」に合わせるつもりではいますけどね。